15零さん(松本零士)

1 純な話 

「じゃあ コーヒーでも飲みながら話をしましょう」
 サングラスを掛け直して石井は応接室の席を立った。
「塚ちゃん。零さんと喫茶店にいるから、手塚先生から電話が入っても落としちゃダメだよ! わかってるね」
 編集室で机に向かう部下の大塚にそう言った。
 大きな封筒を抱えて、小柄でガニ股の男が石井に追いかけるように続く。
「手塚先生が落としそうなんですか?」
 男が尋ねた。
「七月号の火の鳥がね、危ないんだよ。 描けない…描けないって、もう三日だよ。 まだ、四ページしか描いてないし、火の鳥・鳳凰編は久々に評判が高いんだ。 だから落としたくない。 トキワ荘最終回も九月号に入っているんだ。大丈夫かな……もう。 零さんは無限世界シリーズ八月号の原稿を届けてくれているのにねえ。 零さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいよお」
 エレベーターを待ちながら石井は嘆いた。
「手塚先生の爪の垢をいただきたいですね」
 男は言った。
「やめとけ。やめとけ。 アシスタントや編集者と印刷屋さんを泣かすだけだよ」

 二人は虫プロ商事がある横田ビルを抜けて、純喫茶と書いてあるスタンドを横切って店に入った。
「零さん。食事をどうぞ。 昼飯まだなんでしょう?」
「いつもすいません」
 男はピョコンと頭を下げた。


 石井が「零さん」と呼ぶ男は、松本あきらという名前で少女まんがや「高速エスパー」などを描き、最近は「あきら」を「零士」と改めて、絵柄や物語りに独特の作風を持ちジワジワと注目を集めている、松本零士その人である。


 ウエイトレスが水とお絞りを持って来た。
「零さんはおせいじ抜きで読み切りまんがではトップの実力だね。 水木(しげる)さん以来でないかなあ、短編でこれだけ読ませるのは」
「ありがとうございます。うれしいです。 でも、流行からはまだまだズレてますから、食べてはいけません。 女房がなんとか売れてますから、ヒモみたいなものですよ」
 照れ笑いしながら松本はサンドイッチとホットコーヒーを注文した。
 石井はアイスコヒーを注文してから、ショートホープとマッチも頼んだ。
「石井さん。私はまんがを描きたいんです。 劇画や私小説的なまんがが人気を集めていますね。 コムもだんだんその傾向に傾いています。 宮谷、青柳、それに真崎さんといずれも独特の重さが時代とマッチして人気を上げています。 ぐらこんに投稿する新人にもその傾向が顕著です。 あの作品はいつまで持つのか疑問です。 まんがはやはりまんがでなければなりません。 私は古いでしょうがドキドキ、ワクワクするまんががまんがだと考えています。 私はジャパンコミックといわれるようなまんがに挑戦したいんです」
 おまたせしましたというウエイトレスを無視するかのように松本は話を続けた。
「自分の貧乏も笑いにしたいし、新しい戦記物…、悲しい戦記を描きたいし、SFももっとヒューマンな描き方をしたいんです。 でも、そんな作品はヒットしないですよね。 石井さんぐらいですよ。私の作品をおもいっきり描かせて下さるのは」
「でも、ページ数が限られていて申し訳ないね。 零さんと同じこと言っているんだよ」
「エッ誰がですか?」
「うちの手塚先生です。この前なんか、
 『石井ちゃんコムはガロではありません。あなたはコムの編集長なんだから新人の作品もコムならではの作品を選んで下さいヨ。いいですかあ!!!』
 って怒られた」
 石井は笑いながら椅子に身を沈めてみせた。
 そして続けた。
「まんがの多様化というのか、実験がしばらく続くのかわからないけど、暗い時代だけに私的まんがにどうしても注目されているが売れないし残らないよ。限界がある。 でも零さんには可能性がある。おもいきり描きたいように描いてよ。手塚先生が嫉妬するぐらいワクワク、ドキドキするまんがを描いてよ。時代は創るものかもしれないね」
「ありがとうございます。がんばります」
 石井のタバコの煙が松本の鼻に心地よく感じた。
 石井も久々に朝から純な話ばかりに付き合う一日だと思った。
 松本はサンドイッチとコーヒーをほおばりだした。

 コム連載の「無限世界シリーズ」の最終回が九月号になることを知らされるのはそれから1ヶ月後だった。
 その後も松本は、新しいシリーズに意欲的に挑戦してゆくのだった。

(文中の敬称を略させていただきました)

はじめちゃんの東京騒動記第15回  

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