36『再びコボタンにて』

 

新宿のマンガ喫茶「コボタン」は客が席の半分くらいの10人はいただろうか。
コボタンの窓からは雨の新宿を傘を差して早々と歩いているビジネスマンや若い女性たちが目立って見えた。
井上はマンガ喫茶コボタンの店内にあるコムのバックナンバーを手に取り、懐かしさに襲われてきた。
井上にとってコムとの出会いはほんの数年なのに、この雑誌と出会ってから、いろいろな思い出と出来事が有りすぎて、その時間の流れがとても急速に感じるのであった。

「アッ…」
その一冊にたかはしと出会うきっかけになったコム 69年5月号があった。

「これこれ」
と井上は手馴れた扱いでページをめくった。
コムは最初のページが手塚先生の「火の鳥」で、最後の方に必ず出てくるのが「ぐらこん」のページであった。
この「ぐらこん」は「グランドコンパニオン」の略称で、目的のひとつにはマンガ家を目指す者やマンガ同人会の全国組織をこの紙面で推進していた。
「このページにたかはし先生が主宰する『SFクラブ』の同人誌『ステップ』が紹介されていたんだ」
目を輝かせて井上はその誌面を探した。
あった。
「ぐらこん」ページの下段に同人誌の写真と総評が載せられていた。


 SFクラブ
 
[会誌名]SFクラブ
 
[形 式]B5判。ガリ版刷り。
      八十六ページ
 
[会 員]三十名
 
[本 部]山形県東村山郡中山町
      たかはしよしひで
 
[内 容]ストーリーまんがが三編。怪獣をくわしくあつかった記事。
 
[短 評]まんがと怪獣の好きな人のためと銘打ってるだけあって、
      すべて、怪獣に関係したまんが、記事、読み物である。
      予算がゆるせばコピー印刷の方が、よりよいのだが。


井上はいつの間にか1年も経っていない、あの高校1年生の春に記憶は戻っていた。
自宅2階の自分の部屋で、正座をしながら畳にコムを広げ両手でそれを押さえて、この記事を食い入るようにいつまでも見ていた。
それは15歳の井上にとってはとても衝撃的な記事であった。


(僕と同じ山形県に、こんな凄いことをしている人がいるんだ。
 東村山郡中山町なんて今まで聞いたこともない所だけれど、
 きっと米沢よりも在郷(いなか)なんだろう。
 その在郷でこんな組織と同人誌を発行していることに衝撃を受けたのだ。
 たかはしよしひでってどんな人なんだろう…?)
井上はこの人に連絡を取るべくハガキを書いた。

〜 COMでSFクラブを知りました。
僕は高一ですがマンガが好きで、ペンを使ってマンガも書いています。
手塚治虫先生や石森章太郎先生、水島新司先生、永島慎二先生の作品が好きです。
会員募集とありますがどんな会なのですか?
会員になる条件を教えて下さい。
米沢市中央   井上はじめ 〜


一週間は経っただろうか。
自宅に大きな茶封筒が届いた。分厚いその封筒には10円切手がたくさん連なって貼られてあった。
油性のサインペンで丁寧に書かれた井上宛の住所と氏名、そしてその下には「SFクラブ」とガリ版刷りされていた。
その洒落たセンスが心引いた。
大きな手鋏で丁寧に封筒の頭を切っていった。恐る恐る封筒を除くと中から数冊の冊子が出てきた。
その冊子には機関誌「ホップ」と書いてあった。

「ホップ」はすべてがガリ版刷りだった。
藁ばん紙に青インクのガリ版刷りは小学校時代から見なれていたはずなのに、B5判のこの冊子は今まで見たことのない全く異質なガリ版刷りだった。
インクは黒インクだった。
タイトルのレタリングから、カット、ストリーマンガまで、すべてが驚くほど高度なガリ版技術で描かれていた。
井上の頭に衝撃の波がさらに大きく押し寄せて来た。
身体中が震えてきた。

 この会の作品集は肉筆回覧誌「ステップ」というらしい。
それに掲載された作品の作評や近況は大阪や静岡からも寄せられていた。
マンガや映画に対する大人びた批評と分析、どれもがしっかりした文章で、それは井上にとっては難解だった。

たかはしよしひで、かんのまさひこの名前やカットが目立つ。

 特に、かんのまさひこのショートマンガはガリ刷りを感じさせない「ペンタッチ」が再現されており、マンガの内容はショートにしては珍しい日常生活を題材にしたストーリーだった。
人間の優しさと悲しさを配分した新しいマンガだった。
「ショック」だった。
(かんのまさひこってどんな人なんだろう…)
井上が好きなマンガ家のひとりに「水島新司」がいる。
水島は貸本屋向けの日の丸文庫の単行本に常連作家として地味な生活マンガを描いていた。
昭和30年代に誕生した貸本屋の単行本は荒々しい劇画が主流で、水島のような地味な内容は珍しかった。
しかし、一般の商業マンガ誌では地味すぎて水島の「生活マンガ」は掲載はむずかしい時代だった。
井上はこの「SFクラブ」の機関誌「ホップ」だけで、同人誌の魅力を初めて体感したのだった。

(2003年10月26日記)

※文中の住所は当時のものです。
 現在は住所地には居住しておりません。

(文中の敬称を略させていただきました)

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