56回 代打山形に向かう



「石井編集長!手塚プロのボンさん(平田昭吾)から電話です」
 萩原洋子が言った。
 コム編集長の石井文男はやさしい声で、
「ハイ、ハイ、石井です」
 と、電話に出た。

「石井さん、お願いがあるんです。
山形にいる手塚先生にコムか虫プロ商亊から誰かつけてもらえませんか?」

 ボンさんこと平田が電話の向こうで頼んだ。
「大村ちゃん、佐藤ちゃんが同行しているじゃないか?」
 石井は鉛筆で原稿用紙に番号を振りながら訊いた。
 ボンさんはクシャクシャになったハンカチで顔に流れる汗を拭取りながら、
「それが原稿がなかなか進まず、このままいったらコムの『トキワ荘物語』を落としそうなんです。
航空便で原稿のやり取りをしてはもう間に合いません。
原稿を編集者でピストンで運ぶこと以外にはどうしようもありません」

 こんなことは行く前から予想されていた。
 手塚治虫の原稿が遅いのは有名な話だし、雑誌の連載の他にもテレビアニメとアニメラマ「クレオパトラ」の仕事もある。
 とても山形や秋田にまでくる余裕はない手塚だった。
 しかし、この神様・手塚治虫は言い出したら頑として動かない。
 手塚はマンガ部門の手塚プロ、アニメ部門の虫プロダクション、雑誌部門の虫プロ商亊のオーナーでもあるからスタッフにとって手塚の権力は絶対的だった。
 
「ヘヘヘヘッ……困っちゃったねえ。
じゃあ、校条(めんじょう)さんに頼んですぐに飛んでもらうようにするから」

 石井はやさしく言った。

 石井は目白のコム編集室から池袋の虫プロ商亊に向かった。
 手塚治虫の要請で石井は結成したばかりの「ぐらこん山形支部」との対面を企画した。
石井はその時間も流れることはないのかと心配だった。
 手塚がどうしてぐらこん山形支部のメンバーたちと会いたがっているのかを知っているだけに、この対面で手塚が話し込んでしまい大幅に予定時間を過ぎてしまうことも考えられる。
 その場合の対策も一応考えての時間割だったが、現実はもっとたいへんになりそうだった。
 
 虫プロ商亊ではコムコミックスやファニーなどの編集を中心に行っていた。
月刊誌のコムとは違い、時間のやりくりは比較的しやすい体制だった。
 石井は校条にボンさんからの依頼を告げた。
 校条はすぐに野口勲を指名して、野口に山形に今日中に着くように告げるのだった。

「山形まで約五時間ってもんじゃないですかあ!?
たいへんだ。午後一番に乗らないと間に合わないですね」

 と、野口が言った。
「とにかく頼む。
大村、佐藤は原稿が仕上がりしだいに東京に持参させること。
 野口クンは最後まで手塚先生に着いて予定どおりに帰ってくること。
 これが条件だ!いいね?」

 校条はそう言って、野口に旅費を渡した。
「こういう役はいつもボクなんですね」
 野口がポツンと淋しく言った。



(2007年12月30日 日曜 記)



この回の内容は一部は作者によるフィクションです。

(文中の敬称を略させていただきました)
熱い夏の日第56回

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