51回 ボンバ!とアポロの歌



「手塚先生!
今月号から別冊少年マガジンに連載した『ボンバ!』ですが、どうしてあのようなドロドロした少年の心理を描くような作品を描くんですか?」

 井上は続けて手塚治虫に質問をした。

「井上クンは読んでみてどうでしたか?」
 今度は手塚がアイスコーヒーを飲みながら井上に質問をした。
「正直言って、一回目だけではなんとも言えないです」
「……ただ、少年の心の奥の中を馬のボンバで描いているようで、怖いのか……う〜ん……」

 そう言って井上は黙ってしまった。
 
 井上は正直言って、手塚の描く心理状態のマンガはおもしろくないと思っていた。
しかも、最近の手塚の描く線は太くって荒っぽくなっていた。

 昭和三十年代前半までの流れるようなきれいで色っぽい線ではないから、とても残念だった。
 それから、主人公の少年・男谷哲(おたに・てつ)の眼がクルクル回っているような精神不安さがこの物語の暗さを象徴していたからだ。
 井上はそのことも勇気をもって発言してみることにした。
 
 手塚は井上のひと言ひと言を漏らすことなく聞こうとして耳を傾けた。
 
「井上クン……なかなか着眼点がいいですねえ!」
 手塚からは意外な言葉が返ってきた。
「線はどうしたわけか『プレイコミック』に描く絵に近いでしょ?
ネッ?鈴木クン!?
 意識して線は太く荒くしてみたんです。
 少年の眼も指摘どおりです。
不安を描いています。
 それから馬はネ、女性を表しているんです。
 ボンバは幻想の馬ですが、フロイトの夢に……、あっ、フロイトっていうオーストリアの精神分析学者がいて、彼の「夢判断」などや著書の中で馬は女性を象徴している……アッ、こういう話はまずいかぁ」

 そう言って手塚は話をやめた。
 
「手塚先生はどうして『ボンバ!』を描くことにしたんですか?」
 たかはしよしひでが訊いた。
「それはね、最近のマンガはエログロナンセンスが極端になってきたと思うんです。
 先日もジョージ秋山さんの『アシュラ』が人肉を食べた表現で発売禁止になり、永井豪さんの『ハレンチ学園』以来、マンガは社会の毒を一挙に引き受けているようでしょう?
 ついにボクの『やけっぱちのマリア』までが有害図書になったんですよ。
『やけっぱちのマリア』といい『アポロの歌』といい、これはいま流行のエログロナンセンスではなく、少年たちの性を描いた青春マンガなんだけどね。
 そうそう、そしてそれをさらに追求したのが『ボンバ!』なんだ。
少年と青年の間で揺れ動く思春期の心の中を描きたかったんです」

 手塚は大村から「手塚プロ」と書いてある大きな封筒を受け取った。
手塚はそこからゴソゴソと原稿を取り出した。
「これは『アポロの歌』の下書きです」
 手塚はたかはしに渡した。
 
 ペーパーナイフで乱暴に裁断されたと思う模造紙だった。
鉛筆でコマワリがされていた。
そしてラフなマルと曲線で描かれた人物らしい下絵に、吹き出しに台詞が書かれていた。

「手塚先生!これが下書きですか?」
 たかはしが訊いた。
「そうですよ」
 手塚が答えた。
「もっとくわしく描かないのですか?」
「描きません。
あとは直接ペンで描くんです」
「でも、アシスタントが描くんでしょう?」
「主線と顔はボクが描きますよ」

 そう答える手塚の傍で、大村は頭を横に振った。
 大村が「違う」と合図していることが、井上はすぐにわかった。

※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

吹き出しとは、主に漫画で登場人物のセリフを表現するために、絵の中に設けられる空間のこと。
通常は楕円形に三角形がくっついたような形をしており、楕円形の中にセリフを描き、三角形の頂点が指す人物がそのセリフを発していることを表わす。
しかし、周りを楕円形でなく、ぎざぎざにすると大声で話していることを表わし、楕円形を点線で描いたり、小さく描いたりすると小声で話していることを表わす。


(2007年12月 1日 土曜 記
 2007年12月 2日 日曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)
暑い夏の日第51回

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