48回 戦争と平和



 

手塚治虫は、たかはしよしひでからミニアルバムを受け取ると丁寧に写真を眺めた。
 傍で大村が首を伸ばしてアルバムを覗く。
 アルバムを一枚めくる度にたかはし、井上、鈴木、宮崎は唾をゴクンと飲んだ。
 喫茶室には静かに音楽が流れ、みなは息を殺して手塚の写真を見る表情に注目をした。
その時間はたぶんわずかな時間であろうに、たかはしたちにとってはとても長い時間に感じるのだった。

 手塚は静かにうなずきながらアルバムを閉じた。
「…………」
 手塚はしばらく無言になり、手元にあるアイスコーヒーを飲んだ。
「石井氏には聞いていたが、よくここまで企画したものです。
たいしたもんです!」

 二〜ッと笑顔で手塚は言った。
「山形まんが展とあるけど、COM展といってもいいぐらいだね」
 手塚は大村に向かって言った。
「でも、どうしてアニメは東映動画ばかりで虫プロダクションがないんだい?」
 手塚は不思議がってたかはしに訊いた。
「お借りしに行ったのですが、ついに貸していただけなかったのです」
 たかはしは遠慮しないでそう答えた。
「エッ!それは申し訳なかったね。
虫プロはボクの会社なんだけど、最近は官僚的というか、事務的というか、制作プロダクションから会社組織になってしまい、どうも遺憾と思っています。
だから、こんな大事なまんが展に出品できなくなるんだ!」

 手塚はやや憤慨したように言った。
 井上には手塚の最後に言った
「こんな大事なまんが展に出品できなくなるんだ!」という言葉が耳に残った。
 手塚先生は、ボクたちのまんが展をそれなりに価値のあるものと思ってくれているんだ……井上はうれしくなった。

「キミたちにも覚えておいてほしいんだが……そうそう、旭丘先生んところの後藤さんにもね。
 ボクたちがマンガを描いていられるのは、この社会が平和だからだ。
戦争や争い、貧しさなどが続いている社会ではマンガなんか描いていられないし、読者たちも同じようにマンガで楽しむことなんかできない。
このことは極めて大事なことだからね。
 そして次に大事なことは、マンガが本当に好きでなければ、そしてマンガを媒体にして自分の言いたいことや表現したいことを読み手に伝えることが大事だ。
 読者は感動したり、楽しかったりすれば本を買ってくれるし、アニメなら映画やテレビを観てくれる。
 つまり作者と読者とで成り立っているから、ボクたちは一生懸命にマンガを描くんだよ」

 手塚の話は静かにだが、段々力強くなってきた。
 まじめに話を聞くたかはしや井上たち。
 その雰囲気に呑まれてか、多田ヒロシ少年や名前のわからない少女も真剣な表情で話を聞いていた。
 
「いまおっしゃった手塚先生の考えは、別冊少年マガジンの『がちゃぼい一代記』に描かれていましたね」
 細く静かな声で井上が言った。
「よく読みこなしてくれましたネ!
そうなんです!
あの『がちゃぼい一代記』はボクの半生をモデルに描いていますが、戦争と平和が下地にあるんです」

 顔を上下に振りながらニコニコして手塚は井上に言った。
「終戦の昭和二十年八月十五日にボクは万歳をしたんです。
普通は戦争に負けたのに万歳をするなんて非国民なんだけど(笑)、これでマンガが描けるって、直感で思ったから、万歳!万歳!って手を挙げて喜んでしまったんです」
「手塚先生は日本は平和になるって思ったんですか?」

 たかはしが訊いた。
「〜ン。
平和になるっていうよりも、戦時中の日本は食べ物もエネルギーもなく、規制と非常な生活を強制されていたから、こんな生活が続くようだったらマンガも永久に描けないなあと思っていました。
だから、敗戦であろうと終戦であろうと、今よりはきっとマシな人間らしい生活ができると思ったんでしょうネ」

 手塚はまじめな顔をして答えた。



(2007年10月 2日 火曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)
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