井上はじめ、鈴木和博、宮崎賢治は普通電車に乗り、山形に向かった。
電車の窓は全開していても、朝からの暑さで入ってくる風も暑かった。
「手塚先生にサインしてもらう本は持ってきたか?」
鈴木が二人に訊いた。
「オレは手塚先生の自伝の『ぼくはマンガ家』だ」
井上はザック袋から出してその本を見せた。
「あれ?本を白い紙で包んでんながあ?」
と、宮崎が井上に訊いた。
「大事な本は障子紙をカバーにしている。
汚れるともったいないからなあ」
ニコニコして井上が答えた。
「オレは現代コミック9の『手塚治虫集』だ!双葉社で出したんだ」
鈴木がザック袋からそれを出した。
当時はマンガブームだった。
筑摩書房から現代漫画全集が発行されると、その形態を真似マンガ集が各出版社から発行された。
その中に双葉社の現代コミックがあった。
形態とは箱のカバーに入り、文芸小説風にさらにビニールカバーを掛けた厚い豪華な表紙だった。
月報が付いており、文芸評論家や映画監督らが必ず拡張高い批評と解説が掲載されているのだった。
「宮崎は?」
鈴木が訊いた。
「オレは色紙を持ってきた」
宮崎がポツンと答えた。
山形駅の改札口を出ると、大きな紙袋を両手で持ってたかはしよしひでが立っていた。
「どうも、どうも、ご苦労様で〜す!」
色白の顔には既に玉のような汗がキラキラ光っていた。
「おはよう〜ござ〜いま〜す」
三人が挨拶をすると、たかはしは、
「朝早くから悪かったねえ。
早速、映画を観ましょう。
東映動画の『海底3万マイル』だっス」
と、言うと先頭を切って駅を出た。
三人は追いかけてたかはしの後ろに並んで歩いた。
「確か石森章太郎先生が原作だった」
と、宮崎が言った。
三十分は歩いただろうか、まだ八時三十分だというのに映画館前には子どもたちの行列ができていた。
「この映画館は東映専門館で宮崎チェーンがやっている『シネマ旭』っていう映画館だあ」
たかはしは自慢げにそう解説をした。
「米沢では夏のまんがまつりの映画は年末年始に(上映が)なってしまう。でも山形は東京と同じに上映されるなんてうらやましいなあ」
いままでで、東京と同時上映になったのは日活の「鉄腕アトム」だけだった。だからマンガファンの井上には、同時上映がほんとうにうらやましく思えた。
「東映まんがまつり」と称されたこの映画は「海底3万マイル」を目玉にしながらも、テレビの東映作品がそのまま上映されるのだった。
「タイガーマスク ふく面リーグ戦」
「ひみつのアッコちゃん 涙の回転レシーブ」
「もーれつア太郎 ニャロメの子守唄」
「柔道一直線」
いずれも25分間の番組だったが、当時はまだまだカラーテレビが普及されていなかったので、カラーで観ることができるだけでも映画館に足を運ぶだけの希少価値だった。
しかし、「海底3万マイル」を観た井上はがっかりするのだった。
上映時間はわずかの六十分。しかも作画はテレビアニメ風のリミテッド・アニメーション(Limited animation)だった。リミテッドとは動きを簡略化しセル画の枚数を減らすアニメーションの手法だった。低予算で制作時間をあまり掛けられないテレビアニメはほとんどがこのリミテッド・アニメーションだった。
井上の観てきた東映動画の劇場用アニメーション「安寿と厨子王」、「西遊記」、「シンドバットの冒険」、「わんわん忠臣蔵」などはフルアニメーション(Full
animation)だった。その動きの滑らかさは美しかった。
昨年公開された虫プロダクション「千夜一夜物語」も部分ではあるがフルアニメを屈指していたが、やはり東映動画には叶わないと井上は思っていた。
それとは逆にこの「海底3万マイル」の東映動画のリミテッドアニメは虫プロのリミテッドアニメから比べると感性的に負けていると思った。
伝統ある東映動画の劇場用アニメーションはもうダメだなあ、とがっかりする井上だった。
(2007年 8月14日 火曜 記)
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