37回 ぼくはマンガ家



イラスト:たかはしよしひで

 暑い朝だった。
 寝苦しさとあこがれの手塚治虫先生に会えるうれしさに、井上はいつまでも眠れなかった。それでも外からの眩いばかりの朝の明りに目を覚ますのだった。

 白いワイシャツと学生ズボンに着替えた井上は、正座をして味噌汁とご飯にきゅうり漬けや塩辛い焼いた鮭をおかずに朝食を取った。
 傍には祖父の長吉と祖母のふみが孫の井上をしっかり見守っていた。
長吉とふみは、兵隊の出征に行く息子を見送るような心情だった。
「おじいさんもご飯にしたら?」
 ふみはそう言って、この雰囲気を壊そうとした。
「オレはまだいい!ばあさんこそ喰え!?」
 長吉もなんとか自分の緊張を取り除こうとして、そう言った。
「お代わり!!」
 井上はふたりの心情も知らずに大きな声で言った。
「はじめクン大丈夫かあ?そんなに喰って?」
 長吉が言った。
「おじいちゃん。いつもならたくさん食べてもっと太れって云うくせに今日はなんでそんなこと言うんだ」
 はじめが訊いた。
「だって、今日は手塚治虫先生と会う大事な日なんだから、少しは緊張しているかと思ったら、いつもより喰うんだからよ〜っ」
 びっくりしたと長吉は言った。そして、
「はじめくん!誘われたら断れよ!!いいがあ!?」
 長吉は本音を吐くのだった。
 しかし、井上はその意味がわからないから顔を傾げた。
 茶碗にご飯のお代わりを持ってきたふみまでもが、
「はじめ。マンガ家になるなんて考えるなよ。いいがあ!?」
 と、井上の前に座りながら言った。
「マンガ家って?誰が?」
 井上は誰のことを言われるのだろうと、不思議がって訊きなおした。
「はじめだよ!」
 ふみが言った。
 キョトンとする井上だった。
「はじめクン、正直に言えなあ?
手塚先生と今日会う用件は、はじめクンがマンガ家になる話なんだべ?」

 長吉は迫るように井上の傍に寄って言った。
 井上はますます不思議なことを言うものだと、ふたりの顔を見比べた。
 茶碗と箸をおいて井上はふたりに言った。
「おじいちゃんもばあちゃんもなにか勘違いしてないがあ?
今日、手塚先生から大事な話があるってはいわれたけど、それがなんでオレがマンガ家になることになるのや?
オレはマンガ家なんかなるつもりはないし、そんなこと一度だって想ったこともない!!
オレは高校を卒業したら市役所に入って、二十五歳になったら市かい、……とにかくそういうことだから!!」
「ほんとだべな?」
 長吉は言った。
「おじいちゃん!しつこいなあ〜。
オレはウソなんかついたことないべえ」

 と、井上は言って立ち上がった。
「ホントにおじいさんはしつこいなあ!
んだがら(そうだから)、みんながらうだでがられんなださあ(みんなから嫌がられる)」

 と、ふみが立ち上がりながら言った。
「コラ〜!!婆様!
お前裏切んながあ!?
婆様がはじめクンがマンガ家になるんでねえがあって心配してだがら、訊いたんだべえ?
いいカッコすんなず!!!」

 長吉とふみの言い合いを横に、井上は「山形まんが展」の写真アルバムと手塚治虫の自伝「ぼくはマンガ家」(毎日新聞社刊)をザック袋に入れた。



(2007年 7月30日 火曜 記
 2007年 8月14日 火曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)
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