回 きっかけ



井上はボートを漕ぐ羽目になった。
もちろんオールを持つのは初めてだった。
近藤と小山は、井上とまさよしがボートに乗ったのを確認してから、もう一隻の方に二人で乗った。
先頭の井上らのボートは、近藤たちの乗ったボートにぶつからないように先に進まなければならない。
しかし、どう漕いでいいのか井上もまさよしもわからなかった。
近藤は井上らのボートに自分たちのボートをぶつけて、井上たちのボートを押し出した。
ボートはぶつかるとガタン、ガタンと音をたてる。
そして揺れる。
揺れるたびに井上とまさよしはキャー、キャーと悲鳴を上げた。
「井上、ボートはこうやって漕ぐんだ。
 見てろよ!」

近藤が大きな声で言い、オールを両手で廻し上げた。
静かな水しぶきが起こりボートは進んだ。
井上も真似をしてオールをつかんで両手で廻そうとした。
その瞬間、バシャーンと水しぶきが大きくはねた。
それが乗っていた自分たちに降りかかった。
「なにすんだ?
 井上!
 へだくそだなあ!!」

まさよしが怒鳴った。
「お前はマンガを描いてだほうがいいさっ」
と、まさよしが軽蔑したように言った。
井上はその瞬間に湖に拡がった水しぶきの輪に目を落した。



 

「井上くん、これはいけるね!」
第四中学校の教諭、亀岡博が言った。

それは中学三年生の春、国語の授業中のことだった。 

美術の教科も担当していた亀岡は、
「コミュニケーションの種類」
を絵で表現する宿題を出した。
その何種類のコミュニケーションを井上は得意のマンガで表現した。
しかも、マンガの中にはこの中学校の教師たちが登場していた。 

「ケント紙に製図用インクでペンを用いて描いたんだね」
亀岡は美術も受け持っていたから、井上の描いたマンガの原画を見れば何を使って描いたのかがすぐにわかった。
「……」
「きみはいわゆるカットやイラストではなく、マンガを描くんだね」

亀岡は井上がマンガを描いていたことなど、まったく知らなかった。
美術を担当して三年目にして初めて井上のマンガを見たことになる。
「意外だったね、キミがマンガを描くとはね。
 想い起せばキミの描く絵の構図はダイナミックだったり、目線が変わった所から表現していた。
 きっとマンガを描いていたからなんだね」

亀岡は微笑を浮べ両手で四角や丸の構図のポーズを作りながら、井上に淡々と話し掛けた。
「いつからマンガを描いていたんだい?」
「小さい時から……」

井上は小さい声で答えた。

「井上くん、これはなかなかわかりやすい。
 きみのこのマンガを教室の後ろの壁に貼っておこう!」

亀岡は自分で画鋲を持って、井上のマンガを壁に貼っていった。
この時から井上の四中内マンガ家としての一年間が始まった。
国語の授業が終ると三組の級友たちが壁に貼ったマンガを見た。
「井上!なかなかいいじゃないかあ〜。
 お前マンガ家になるのか?」

とニキビ顔で油性の佐藤一彦が言った。
井上はモジモジしながらかぶりを振った。
「照れるなよ、手塚治虫先生からもハガキをもらったんだって?
 すごいよなあ」

佐藤修一がニコニコして言った。
井上は顔を真っ赤にして顔を伏せた。
井上はいつの間にか、級友の輪の中にいた。 

「これは黒澤先生だろう?」
「アハハハハッ……」
「このブッチョウ面は春日先生だな!?」
「オホホホホッ……」
「あっ!
 ヒゲダルマだ〜
 勝広センセイ〜!!」
「そっくりだ〜
 はじめ、お前上手だなあ」

級友のみんながマンガを見てワイワイガヤガヤとなった。
井上は困ったと思った。
このマンガがこんなにウケルとは考えてもみなかっただけに、汗が流れてきた。
井上は顔を真っ赤にして自分の席に着いた。
級友たちも席に戻っていった。

美智江は一人だけマンガを見つめていた。
そして腕を組みひとり言を述べた。
「う〜ん、これはいいかもしれない!」

(2006年 9月12日 火曜 記
 2006年 9月14日 木曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)
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