- 1 村上の回想
村上は笑いながらふと午前中にCOMの石井編集長からの言葉を思い出した。
「なるほどね。適任がそれぞれいるわけかあ。実はぐらこんの件だけど、秋山からバトンタッチして、さっきまでいた大塚ちゃんに任そうと思っているんだけど」
「秋山さんは配置替えですか?」
「適任といえば秋山チャンなんだけど、社内でいろいろあって、彼から辞表を預かっているノ」
「辞めるんですか!?どうしてそんな虫プロ内部の大事なことをボクに聞かせるのですか?」
「キミだから話すんだヨ。村上クンだから!!」
「四日市よりここの方がキミの性にあっていないかい?」
「エッ!? ・・・・・・ あッ」
「四日市よりここの方が、キミの性にあっていないかい?東京もいいぞ」
(誘いの言葉だ。プロポーズに違いない。夢のようだ。あこがれのCOMがボクを誘っているんだ)
夢を見ているような気がしてならなかった。
■
壁には新作公開予定の「空飛ぶゆうれい船」の真新しいポスターが張ってあった。
「ところで君たちはどんな作品がすきなのかな?」
小林が尋ねた。
「『ホルスの大冒険』です」
たかはしが胸を張って答えた。
「あのテレビアニメーションのようなキャラクターがフルアニメで動くのにはビックリしました。最後の剣を抜く場面は芸術です」
そう付け加えた。
「ボクは西遊記です。手塚先生のキャラクターがとても魅力的でした。冒険物のアニメーションとして最高です。昨年、虫プロが作った千夜一夜物語もあれにはかないません」
井上は手塚ファン丸出しで言った。
村上にはふたりの話が頭に入っていかなかった。
村上の頭の中は石井編集長とのやり取りで渦を巻いていた。
■
- 「君たちのように本当にアニメーションを理解してくれる人たちが多ければ、ホルスの大冒険はヒットしたのになあと思うよ」
小林が落ち着いて話す。
「ヒットしなかったんダスか?」
たかはしが聞き直した。
「残念ながら社内では金食い虫と言われた作品なんだよ」
小林が目をそらしながら言った。
「なして金食い虫なんですか?」
たかはしが目を光らせて聞いた。
「フルアニメだろう。そりゃ制約はあるよ。何枚以内で描きなさいって。でも、あの三人は言う事を聞かないんだ。納得するまで描きまくるアニメーターがいるから、経費と時間が大幅に掛かってくる。知っているかい?高畑勲、宮崎駿、大塚康生っていうアニメーターを?」
小林は答えながら少しずつ早口になっていく自分に気づいた。
「知っています。あの『宇宙パトロールホッパ』を描いたのですよお〜ね」
たかはしがいうと、
「キミは本当に好きなんだネエ?ますます感心するよ」
小林は嬉しさを笑顔で顔中に現した。
「あの方たちのアニメーションはマンガ映画ダス。んだから人物の動きが演技だと思いまス。虫プロは荒削りで斬新な演出で見せますが、あの方たちはすべての動きで演技をすることをマンガ映画の使命にしていると思うんダッス」
方言丸出しのたかはしの話はどんどん熱くなってきた
そしていつの間にか、先程乱暴な言葉をはいた佐藤やもう一人の社員もたかはしの話に聞き入っていた。
- 佐藤はもう一人の社員に言った。
「先輩。この話を大塚さんたちに聞かせてやりたいですね」
「ああ…きっと喜ぶぞ。会社を辞めて契約社員になるなんて、バカな事も思い留まるかもしれないなあ」
コソコソと小さい声で話をした。
「でも、あれだけ会社側と喧嘩をしたのでは…」
佐藤が言うと、
「あれは喧嘩ではない労働組合としての闘いだ。気をつけてモノを言え」
もう一人の社員が言った。
たかはしと小林のやり取りは続いていた。
村上はいつの間にか二人のやり取りをやさしい目で眺めていた。
たかはしの夢中な話ぶりを観て村上は頭の中の渦巻きがス〜ッとおさまってくるのが分かった。
(ボクが尖兵になるのか。あとに続くのはこのたかはしクンや井上クンかな?このマンガの世界は意外に近い所にあるのかもしれない。マンガの世界にはマンガ家だけじゃない。彼らを取り巻くスタッフが必要だ。それも質が高く、より読者の気持ちを大切にした良心的なスタッフが…もしかしてボクのこの決心が…)
■
|