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井上の自宅には毎日大きな封書が届くようになった。

「あしたのジョー」の大ヒットで一躍「時の人」になっていた ちばてつや先生からはサインの色紙が届いた。
先日、上京した折に、急に思い立ってちばてつや先生に電話をして面会の承諾を取ったが、自宅近くまで行きながらついに家を発見できずに、無断で帰って来た。
その後、ちば先生にはお詫びの手紙を書いた。
その手紙に「山形まんが展」のことを記したのだった。
手紙を読んだちば先生が色紙を送ってくれたのだった。

東映動画からもテレビアニメの原画が送られてきた。
「ひみつのアッコちゃん」、「タイガーマスク」など背景付きのセルロイド原画だった。
井上らの上京しての依頼を承諾してのことだった。
「お土産のサクランボの効果だ」
と、井上はたかはしよしひでのサクランボお土産作戦に感心した。

社会派劇画家 旭丘光志先生 からも原画が届いた。
旭丘先生は、前年に「少年マガジン」に広島の原爆のマンガ「ある惑星の悲劇」を描き、社会派マンガ家として一躍注目を浴びていた。
井上は当時感動のあまり旭丘先生に電話をして長々と感想を述べていた。
今回のまんが展を開催するにあたり、井上は旭丘先生に手紙を書き、原画の出品をお願いしていた。

封書に「旭丘光志」の名前を発見すると、井上は急いで封を開けた。
原爆マンガ「ある惑星の悲劇」であってほしい。
いや、それに違いない。
もしそうだったら自分の出品作「灰色の青春」と青木文雄の作品と並べて展示し「マンガの社会派」を強調しようと考えるのだった。
井上は封から出てきた作品に注目した。 

しかし……
旭丘光志先生はイギリスのSF人形劇「キャプテンスカーレット」の「少年ブック」に連載マンガの原画を送ってきた。 

井上は正直がっかりした。
しかし、まんが展に来るだろう少年たちには喜ばれる作品だろう。
実はこのキャプテンスカーレットを選んだのは、旭丘先生のアシスタントを務めていた山形漫画研究会の後藤和子だった。
井上が旭丘先生に原画借用の手紙を出したと聞いた たかはしよしひで は、井上に後藤和子の存在を知らせた。
さっそく、井上は旭丘先生宅に電話をして、後藤和子に後押しをお願いをしたのだった。

後に後藤和子はマンガ家「ごうとう和」になって活躍をするのだった。

虫プロダクションからアニメ原画は届かなかった。
なんの返事もなかった。
あのお土産のサクランボの力はおよばなかった。

(2006年7月10日 月曜記)



(文中の敬称を略させていただきました)
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