昭和漫画少年時代


新聞配達顛末記

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今でこそアルバイトなど当たり前の事ですが、当時の父にとっての新聞配達というイメージは、まだ「貧困」の象徴だったようです。
子供を働かせている甲斐性のない親だと思われることを極端に嫌ったようなのです。
もっとも、これはボクの父親に限ったことで、どの大人も同じ認識ではなかったと思います。
それほど父親が家族を養っているという自覚と自信があった時代だったのです。
また、子供が親を困らせてやろうとか、嫌がらせをしようとも思わないまだまだ健全な社会だったのです。

ですから父親の威厳もまだあった頃ですから、とても反発など出来るわけはありません。
お腹もすいたのですが、じっと我慢しながら首をすくめて父の話を聞いていました。
でも本当は、早く終わるように受け流していたのですが。

もっとも、今だったら、テレビドラマやインターネットからも情報が入ってくるので、受け売りでもきいたふうな反論が出来るのでしょうが、なにせ田舎で育ったボクには反論する事などに考えが及びません。
第一、テレビやラジオで聴いたことを、わかったようなことを小学生がそのままで言ったらそっちの方がずっと変なはずです。

それに実は、父には内緒で新聞配達をしていたのです。
級友だってしている事が悪いこととは思えないし、パッパッパと片付ければ大丈夫だと思っていたのです。
事実初めのうちはわからなかったのですが、それでも内心後ろめたい気持ちが全くなかったわけでもありません。
それで、母にはそれとなく話をしていたのですが、遅くなったので父に話をしてしまったそうなのです。

後で母に聞いたら、えらい剣幕で新聞販売所に電話をしたらしく、かえって母が恐縮してしまったそうです。

けっきょく、父親の一言は子供にとっては天の声ですから、逆らうわけには行かず、翌日から新聞配達禁止となりました。

それからひと月ほど経ってから、アルバイトを譲ってくれた級友の英二くんが、
「そろそろ、じぇね(銭、お金)貰えんのんねが?」
と聞いてきたのです。

ボクは、かくかくしかじかと事情を話して新聞配達はとっくに止めた事を告げました。
すると彼は、
「そいずはうまぐないよ(それはまずいよ)
 新聞屋で困ってっべず。
 後の人ば見つけねど、まずいべ。
 すかたないがら(仕方がないから)、オレが後を継ぐべした」

「だいぶなっじやあ(大分経つよ)」

「んだて、しゃねふりしてらんねぇちゃ(知らないふりはできないよ)」

ボクは、この英二くんという小学生は、実にしっかりとしていると、感心してしまいました。
というより、ボクの考えがずいぶんと浅はかなのですが。

さっそく、英二くんはその放課後に新聞販売所に行き、時間が経ってしまったけど、続けて新聞配達をさせてくれるように話をつけてしまいました。
行動力があるんだなあと、感心ばかりしているボクでした。

そして、さらに一月後、英二くんはアルバイト料をもらうことになります。
その時についでにボクも連れてきてくれと言われたそうです。

新聞販売所のおじさんは、理不尽な父の猛抗議と、突然アルバイトがいなくなるという迷惑を被ったのにもかかわらず、一週間分のバイト料として30円をボクにくれたのです。
あれから2ヶ月が過ぎておりましたが、おじさんは忘れてはいなかったのです。

ボクはいただいたその30円で、その年(昭和38年・1963年)の7月に新しく創刊された「週間少年キング」の創刊号を購入することができました。
創刊号は特価30円、翌週から40円になりましたが、新しく創刊された貴重な少年雑誌の第一号に出会えた瞬間でした。
そして、それらを含めて新聞配達騒動(?)は、ボクの忘れられない思い出のひとつになりました。

(2008年7月19日記)



※この作品はほとんどフィクションですから、年代などあてになりません。
文中の登場人物も仮名ですが、実在される方の敬称も略させていただきました

ボクと漫画大将第9回  

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