今でこそアルバイトなど当たり前の事ですが、当時の父にとっての新聞配達というイメージは、まだ「貧困」の象徴だったようです。 ですから父親の威厳もまだあった頃ですから、とても反発など出来るわけはありません。 もっとも、今だったら、テレビドラマやインターネットからも情報が入ってくるので、受け売りでもきいたふうな反論が出来るのでしょうが、なにせ田舎で育ったボクには反論する事などに考えが及びません。 それに実は、父には内緒で新聞配達をしていたのです。 後で母に聞いたら、えらい剣幕で新聞販売所に電話をしたらしく、かえって母が恐縮してしまったそうです。 けっきょく、父親の一言は子供にとっては天の声ですから、逆らうわけには行かず、翌日から新聞配達禁止となりました。 それからひと月ほど経ってから、アルバイトを譲ってくれた級友の英二くんが、 ボクは、かくかくしかじかと事情を話して新聞配達はとっくに止めた事を告げました。 「だいぶなっじやあ(大分経つよ)」 「んだて、しゃねふりしてらんねぇちゃ(知らないふりはできないよ)」 ボクは、この英二くんという小学生は、実にしっかりとしていると、感心してしまいました。 さっそく、英二くんはその放課後に新聞販売所に行き、時間が経ってしまったけど、続けて新聞配達をさせてくれるように話をつけてしまいました。 そして、さらに一月後、英二くんはアルバイト料をもらうことになります。 新聞販売所のおじさんは、理不尽な父の猛抗議と、突然アルバイトがいなくなるという迷惑を被ったのにもかかわらず、一週間分のバイト料として30円をボクにくれたのです。 ボクはいただいたその30円で、その年(昭和38年・1963年)の7月に新しく創刊された「週間少年キング」の創刊号を購入することができました。 (2008年7月19日記)
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