昭和漫画少年時代


新聞配達騒動記

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太志(ふとし)くんは、午後からの授業中にはよく居眠りをしていました。
朝と夕方に新聞配達のアルバイトをして、生計の手助けをしているかららしいのです。

当時のボク達子供の間では、継ぎ当ての服やズボンは当たり前でしたし、家庭が裕福か貧困かで差別することなどもなかったのです。
良い意味で子供達はみな平等だったのです。
そのような何でもない当たり前の心が、高度成長期に入って格差が出始めた都会から、人々の心から除除に少しずつ欠落していくことになります。
でも、そのような世知辛い風潮はまだここには届いておらず、まだまだすてたものではない山形でした。

ところで新聞配達のアルバイトといえば、ボクにはちょっと苦い思い出があるのです。
昨年(昭和38年・1963年)4月の始めのこと。
いつも漫画の貸し借りをしていた級友の英二くんが、新聞配達のアルバイトをして漫画の単行本を購入したと話していました。
新聞配達で漫画が買えるなんて、うまい方法があるんだな。
いつもよく考えずに目先の欲得で行動する癖(?)のあったボクは、英二くんが目的が達せられたからアルバイトを止めるというので、その後がまに推薦してくれと頼んだのです。

余談ですが、英二くんは、メガネをかけていて、ちょうどあの東宝特撮映画の円谷英二監督のような顔をしています。

小学校近くの新聞販売所では、人手が足りなかったのか、前の級友が信頼されていたのか、すんなりと採用してくれました。
しかし、配達する地域は、町の郊外の方なので早く配達するには自転車で行かなければなりません。
初めの4〜5日はとりあえず時間はかかっても日暮れ頃までには順調に配達を終えました。
しかし、翌日は4月始めでは珍しい季節はずれのドカ雪になってしまったのです。
水分を多く含んだ春先の重い雪です。
少し大きくても子供用の自転車では雪が車輪にまとわりついて乗って走る事などとても出来ません。
やむなく引っ張って行きますが、やはり雪がまとわりついてきます。
濡れた手袋など役に立たず、寒さで指はかじかんで、もう泣きたくなるような状況でした。
(泣いたりはしませんが・・・)

いちいち雪を払いのけながら新聞を配り終えた時には、もう日は落ちてあたりはすっかり暗くなってしまいました。
いつもよりかなり遅くなって帰宅した時、夕食もあらかた終えた食卓の雰囲気がなんとなくいつもと違うのです。

遊んでいて遅くなることはあっても、たいていは夕食までには帰宅するのですが、その日は違っていました。
いきなり、父が怒りました。
「いいが、新聞配達はやめろ!
 おらえでは子供に新聞配達さしぇらんなねほど(させなければならないほど)、めんくさい(恥ずかしい)真似ば、してらんねぇ!
 わがたな!」


(2008年7月18日記)



※この作品はほとんどフィクションですから、年代などあてになりません。
文中の登場人物も仮名ですが、実在される方の敬称も略させていただきました

ボクと漫画大将第8回  

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