13虫プロダクション

1 富士見台 



 富士見台駅に電車が入る。
 多くの乗客が席を立つ。
 長い髪の女性もサッと席を立つ。
 それを見て三人も席を立った。
 群集と一緒にけっして大きくない富士見台駅の改札口をぬけて、駅を出る。


 髪の長い女性の姿はどこかに消え、代わって多くの男性が虫マークの封筒を持って駅を右に折れる。
 それに引きずりこまれるように三人が歩く。
 井上は、午前中に虫プロ商事から借りてきたマンガ原稿の入った大きな手下げ紙袋を引きずらないようにしながら、村上やたかはしに遅れまいと早足で歩いた。


「村上センセイ!あの人たちはみんな虫プロの人だが? みんなカッコイイなっス」
 たかはしの率直な感想は当っていた。
 長髪でジーパンがブームの時に、虫プロマークの封筒を持った男性たちは意外なことに髪は七、三分けの背広姿だ。
「たかはしセンセイ、前を歩いている人たちはほとんどが虫プロへ向かっていると思うよ。 だから住所をキョロキョロ確認する手間は省けるはずさ」
 そう言うと、村上は住所を書いた手帳を背広の中にしまい込んだ。
 前を歩く数人の集団は歩幅が大きく、早い。
 アッという間に田舎の三人との距離が開いて行く。
 たかはしは井上に目で「急げ」と合図する。


 虫プロダクションは、当時日本のアニメーションとテレビ界をリードする「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」を世に送り、この数年は「アニマル1(ワン)」、「あしたのジョー」と、手塚マンガ以外の時流に乗ったヒットマンガを原作にアニメを制作していた。

 その虫プロに間もなく行ける。
 三人は三様に、胸の高鳴りが1メートル毎に高まってくる思いだった。

 街並みが急に変わった。
 駅前の商店街が田んぼと畑に変わったのだ。


「オオッ 急に(山形県・中山町の)長崎になったぞお」
 たかはしが驚く。
「家の近所と同じ光景になってきた」
 井上が続ける。
「東京もまだまだ開発されていない所があるんだネ」
村上も周りを見渡しながら言った。
「本当に虫プロがこんな田舎にあるんだべがネエ?」
 たかはしが歌舞伎の見得のように大きなジェスチャーをしながら言った。


 人通りも少なくなり、虫プロに向かう小集団の群れと、少し離れて三人組だけが田んぼと畑の間の道を歩いている。
 しばらく行くと住宅地が見えてきた。
 大きな家と小さな家が奇妙に空間を作りながらポツンポツンと建っている。
 ちょうど地主農家とようやく新居を構えたサラリーマンの家といったところか。
 もうしばらく歩くと新興住宅地が現れてきた。
 一般住宅だろう。
 山形のような大きな家ではないが、どの家も塀のある二階建てで上品でコンパクトだった。
 東京の匂いがする粋な雰囲気になってきた。
 しかし人通りはない。
 そして、いきなりだった。
 井上が叫んだ。
「オア〜ッ あれだ!!」
 三人は正面左側に目が釘付けになった。

 それは白いお城に見えた。

2 手塚治虫邸



 三人は立ち止まった。
 目の前に立ちはだかる白い城を下から見上げるように目で追った。
「すげ〜なあ〜」
「でっかいなあ〜」
「きっとこれが手塚治虫先生の家だゾ!?」
 村上が言い終わらないうちに、井上はバックからカメラを取り出して、シャッターを押した。
 キャシャ、キャシャ、キャシャ・・・
 井上は、写真を撮ると、改めて手塚邸の大きさに気づいた。
「一枚のコマに収まらない。どうしよう?」
 困惑する井上に、たかはしは言った。
「井上センセイ、こういうときは分けて撮るんだべ。 カメラを横に少しずらしてョ。 二枚とか三枚で一つの写真にするつもりで撮るのや」
 井上はたかはしに教えられたように、数枚に分けて写真を撮った。
「戦後25年の間に、手塚先生はマンガという未知数の文化の中で、東京にこんな豪邸を建てるまでになっていたんだ・・・」
 村上は、手塚治虫の偉大さをその自宅の資産によって思い知らされた。
 たかはしと井上も同じ驚きを感じていた。
 三人はそこから白い大きい塀に添って再び歩き始めた。
 二階建ての白い城はどこまでもどこまでも長く感じられた。

1970年当時の手塚治虫先生の邸宅 手前から奥までの白い建物がそうです
これは二枚の写真をつないであります


 塀を左側に折れると雑誌などで見覚えのある「虫プロダクション」正面玄関が見えてきた。


3 あこがれの虫プロダクション


「虫プロだあ」
 誰からともなく言葉が出た。
 意外に落ち着いている三人には、驚きの連続を冷静に受けとめようという気持ちが生まれてきているようだ。
 正面入り口から正面建物を見ると、「虫プロダクション」というカッコイイ手塚レタリングの文字で書いてあった。
「手塚レタリング」とは、アトムやSFマンガでよく手塚が使う手塚独特のデザイン文字である。
 文字が横に幅広く、縦文字を細くして、横文字を太く描く手法で、とても二十一世紀感のあるレタリングであった。
 この文字の形態はいろいろな分野で、未来系を表現する時に真似をされていた。


 まず、村上が玄関に入る。
「ごめんください。ごめんくださ〜い・・・」
 少し蚊の鳴くような声で挨拶をする。
 田舎の少年が圧倒されるのも無理はない。
 すぐに小柄な女性が出てきた。
 村上はポケットからハンカチを取り出して、額からメガネにかけて汗を拭いた。
「○○さんはおいででしょうか? 山形の酒田の村上と申します」
「○○は休みですが…何か?」
 女性は言いながら、村上の後にいるたかはしと井上を気にしながら覗きこむように視線を向けた。
「実は今日○○さんと会っていただくことになっておりまして、上京してきたのです」
 言いながら村上は、また頭から流れる汗を拭いた。
「あいにくですが、○○はお休みをいただいているんです」
 困惑気味に応える女性の後から、27〜8歳の男性が声を出しながら話に割り込んできた。

「君たち約束してんの?」
 ちょっと乱暴そうな男性を井上は睨んでしまった。
「ハイ。 これが○○さんからいただいた約束の葉書です」
 そう言って村上はカバンから葉書を取り出した。
 その葉書を奪うようにして取り、読もうとする男性に、たかはしも嫌悪を感じた。
 男性は目を上下に動かし読み終えると、
「この葉書の内容からして時間は約束していないんだろう? この葉書の後、○○に問い合わせをして時間の約束をしたの?」
「君たちのようなファンは毎日来るの。 問い合わせも多くてね。 いちいち覚えていられないよ。 問い合わせをするのが常識だろう!?」
「ハ、ハイ・・・」
 村上はおとなしく返事をした。
 井上はそのやり取りに黙っていることができなかった。
「僕たちは山形でまんが展を行ないます。 その展示物に原画をお借りしたいんです」
 村上の後から大声で言った。
「そんなこと急に言われても、僕たちは分からないよ」
 その男性は入り口の戸に右腕を支えるように上げて言った。
 おとなしい村上も少し語気を強くして言った。
「○○さんはその葉書からも了解しておられます。 できるなら今日お借りしたいのですが・・・」
「困っちゃうなあ。 ○○がどのような約束をしたか知らないが、展示会やファンの集いへの出展は会社の規定があるからなあ」
 男性が言う。
 女性もその言葉にうなずいた。
 みんなはいつの間にか汗だくになっていた。
(掲載写真撮影/井上はじめ)

(文中の敬称を略させていただきました)

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