12桐一葉(きりひとは)

1 車中にて 

 電車が次の駅に着く。
 この駅では降りる人より乗る人の方が多い。
 午後の二時だというのに東京はこんなに人がいる。
 井上らの山形で電車が満員状態になるのは通勤、通学の時ぐらいだから珍しさより驚く。
 特にたかはしは毎日中山町長崎駅から左沢線で山形駅に汽車通学をしているだけにこの混み様は信じられない。
 今度は「虫」と大きく描かれた封筒を持った、ミニスカートがよく似合う長い髪の女性が乗って来た。
 三人は封筒の「虫」のマークから「虫プロダクション」の関係者であることがすぐに判った。
 三人の視線はしばらく「虫マーク」に釘付けになった。
「ああ…練馬区富士見台が近づいてきた。今、誰もが注目しているマンガ映画の虫プロダクションにいよいよ乗り組むんだ」
 井上は手塚治虫と会う前の緊張とは違う、ときめきを感じてきた。
 女性は三人の座席向かいに座った。
 座った瞬間に女性は前にかかった長い髪を右手で払いのけた。
 その仕草を見たたかはしは(東京のオンナの人はなんてきれいなんだろう)とうっとりした目でその女性を見ている。
 村上は(虫プロダクションの作品らしい斬新なアカ抜けたスタッフなんだろう)と感動した。

2 計算尺の村上と斉藤


 山形県酒田市は山形県の中でも港町として経済も活発な街だ。
 人間もどちらかといえばアカ抜けしている。
 その中にあって村上らのマンガ同人メンバーは目立たぬ存在ではなかった。
 村上彰司は兄との二人兄弟だった。
 仲の良い兄弟は幼い時からマンガ雑誌を読み、弟の彰司がいつの間にかマンガを描くようになっていた。
 その村上がマンガの次に好きだったのが「計算尺」であった。
 酒田の工業高校時代、村上は計算尺のクラブ活動に所属していた。
 当時はむずかしい計算のほとんどは計算尺だった。
 電卓はおろかコンピュータも、ほんの一握りの人たちしか使えない特殊なものだった。
 村上はこの計算尺で、学校で一番、いや酒田市で一番の使い手になることが目標だった。
 少なくてもアイツと出会うあの日までは。

 ある放課後、村上は部室として使っていた教室の一室に忘れ物を取りに帰った。
 教室の前の席から入るとそこに斉藤 茂がいた。
 一番前の席に腰掛けて、背を丸めて、まだ計算尺を使って問題を解いていた。
「斉藤くん。まだ、いた?」
 村上が声を掛けた。
 頭を上げた斉藤は細い目を大きく開くようにして言った。
「ああ…チョット引っかかって、終わんないンだノ」
 村上は「どれどれ……」と言って、斉藤の解いている問題に目をやった。
「ああ、これかあ…これは難しかったぞ」
 村上は黒板にむかって計算を解く解説ポイントを書き始めった。
「いいかい?斉藤くん…」
 急に教師ぶった話し方に変わった自分が恥ずかしくも感じた。

 この計算尺クラブで村上は斉藤茂と出会う。
 この斉藤も村上と同学年であった。
 村上にとっては部活を始めてから、斉藤が自分にとって手強い相手と意識するまでそう時間が掛からなかった。
 一年生でありながら部の中でも二人は群を抜く秀才派だった。
「凄い新人が入ってきた」と、計算尺クラブでも話題になっていた。
 そんな二人だが村上と斉藤には意外にも会話がなかった。
 他の者と話すことがあっても、村上と斉藤はそれぞれ極の頂点のような意識を持っていたからなのだろうか。

 この日初めて二人は一緒に学校の正門を出た。
 斉藤は村上を称えた。
「さっきの問題なあ。三年生の副部長に訊いたんだが分からんかった。村上君はたいしたもんだ。前から凄いと感心していたンノ」
 その一言が村上の心を開いた。
(インテリに見えて、無口で、計算尺は僕とライバルの彼からこんな言葉を聞くとはびっくりだ・・・)
 村上にとっては意外だった。


 二人は喫茶店に入りコーヒーを飲むことにした。
 いろいろな話をした。
 計算尺のことや部活のことについて一通り意見交換が終わった。
 村上が質問した。
「斉藤くん、趣味は何なノン?」
「オレの趣味ねえ。・・・笑わないか?いや、笑わないでくれなあ」
 斉藤は神妙な表情をしながら頼むように言った。
 村上は聞いては(いけなかったのか)と戸惑った。
「わ、笑うものか!」
 言った瞬間に斉藤の目を見た。
 斉藤はその目を伏せて答えた。
ま・ん・が」と。
 斉藤は頭を下げた。

 二人はしばらくの沈黙が続いたように感じた。
 実はほんの瞬間なのに。
「ま・ん・がって・・・、まんが?、かい?」
 村上が問い直した。
「ウダノ(そうだよ)」
 斉藤は庄内弁で答え、顔を真っ赤にした。
 自分の趣味がとても恥ずかしく、村上に軽蔑されると思ったのだ。


 村上は、斉藤の目を覗くようにまた見た。
 斉藤は頭を下げながら上目遣いで、村上の視線を追った。
 村上はまじめな顔で斉藤を見ている。
 とっさに斉藤は視線を外した。
 正直に困った。
「村上君、おかしいだろ、まんがなんってノ?」
 斎藤は、照れ笑いをしながらか細い声で言って、コップの水を飲もうとした。
 でもコップには水が無かった。
「そんなことない。まんが、マンガはすばらしいと思う」
 村上は優しい笑顔で言った。
「本当かい?」
 びっくりした顔しながら斉藤が訊きなおした。
「僕、マンガ描いているんだ」
 今度は村上が照れながら答えた。
「へえ〜、奇遇だなあ。オレも描いている」
 斉藤の声は明るく大きくなった。
「僕はSFを描いてる。石森章太郎が好きなんだ」
 村上も明るく大きな声で言った。
「そうかあ。少年マガジンの『サイボーグ009』おもしろいなあ」
「僕は少年キングの『サイボーグ009』が好きだ」
「『竜神沼』は石森章太郎の傑作だノオ。秋田書店の『マンガ家入門』で始めて読んだ」
「実はあの『石森章太郎マンガ家入門』と『続マンガ家入門』でマンガの描き方が解ったんだ。それ 以来、石森マンガの模写をしたり、ストーリー考えたり描いている」
「オレもだノウ」
 斉藤と村上は話し合うテンポを速めてお互いの知識と経験を披露し合った。


 この日から二人は意気のあった同人として関係が強まっていった。
 そして二人が酒田市でいや庄内初の漫画同人会「漫画研究会 桐一葉(きりひとは)」を結成するまではそう時間は掛からなかった。
(文中イラスト/たかはしよしひで)

(文中の敬称を略させていただきました)

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