10夢からの帰還

1 沈黙の言葉 



 
 三人は、黙って歩いていた。
 言葉が、口をついて出ないのだ。
 マンガの神様「手塚治虫」先生と直接会って、話しをしたわずかな時間。
 三人が、それぞれに思い出していた。

 村上は静かに興奮していた。
 いつの間にかネクタイを少し緩めていた。
「何ということだ。こんなに神様が身近にいいのだろうか?バチがあたらないか」
 真剣に思った。

 たかはしは、お土産がなくなった分、紙バックがひとつになっていた。
 すれ違う人にぶつかりながら、ただただ手塚の仕事場を思い起こしていた。
 持ち主が空白の机ひとつひとつが気になっていた。
 未完の原稿が散らかしてあったり、墨汁の汚れが着いたペン拭きが脳裏に染み付いていた。
 アシンスタントはどこへ行ったのか。
 手塚先生はきっと納得がいくまで、ひとりで描き続けているのだろうか・・・。
 ゆらゆらとサイケデリックに先ほど観た光景の記憶と、手塚の仕事のことが頭の中を巡っている。

 ドンという痛みに、たかはしは我に返った。
 ミニスカートの長い髪の女性にぶつかった。
「どうもすいません」
 とっさに謝る。
 しかし、顔も見ないで、すぐに前を向いて歩きだした。
 宙を歩いているような、フワフワしたそんな感覚だった。

 井上も、夢のような時間だった。
 それでも、何かたいへんな体験をしたような、実感がそこにあった。
「東京っていいなあ。こうやって世の中を動かしている人がいるんだし、直接会えるんだもの。やっぱり東京だ」


2 手塚治虫の休息


 
「コーヒーくれますか?ああ、インスタントでいいです」
 手塚治虫が言った。

 マネージャーが、コーヒーを平べったいカップに入れて持って来た。
「あの少年たちと話しをしますか。サクランボを頂きながらネ」
 手塚は、手と背を伸ばしながら、軽くあくびをした。
「先生。彼らは、今、帰りましたよ。何だかこれから、虫プロと東映動画に行くんだとか言ってましたが」
 マネージャーが、サクランボの包みを解きながら言った。
「あら、そうですか。待っているように言ったのにネ。石井ちゃん熱心な少年だからいろいろ話しをするように言われていたのにネ」
 そう言いながら、手塚はマネージャーが包みを解くのを遅しとサクランボをつかみ、口にほおばった。
「ウン。甘い。ウン。すっぱい。あなたもどうですか?」

「ところで村上氏というのは、あの背広を着ていた青年ですネ。あなたの感想はいかがですか?」
 マネージャーに、手塚は問う。
「ああ、COMの編集員にどうかという話ですね」
「石井ちゃんが、秋山ちゃんの代わりに採用したいって、推薦してきたんです」
「ボクは、(虫プロ)商事の件はよくわかりません」
 マネージャーは、あたりさわりなく答えた。
「あの青年はいいかもしれませんネ。あの少年たちをよく面倒みているみたいだし、目が優しい。寺さんを思いだしましたヨ」
「テ・ラ・さんって?」
「あなたは勉強が足りませんネ。よくボクのマネージャーが勤まりますネ。COMの『トキワ荘物語』を読んでいますか?」
「ああっ。寺田ヒロオさんですネ?」
「そうです。しっかりした同人会には、必ずテラさんのような気の利く面倒見のよい青年がいるもんです。村上氏は、きっとそんな青年なんでしょう。村上氏の件は石井ちゃんにまかせましょう」
「そういえば、COM9月号の『トキワ荘物語』は、先生が担当です」
「わかりました。『トキワ荘物語』は、あの少年たちと再会する、山形で描きましょう。」
「ええ、そんな・・・、もっと早く仕上げて下さい」
「キミね。マンガは感性なんです。あのマンガ少年たちともう一度会えば、トキワ荘に集まったあの当時のマンガ少年の原点に帰ることが出来るでしょう?COMの読者は感性が鋭いんです。ウソを描いたり、ごまかして描いても見破るんです。山形のマンガ少年たちにトキワ荘のマンガ少年をみる。これですよ」

 手塚は、理屈をまくしたてる癖があった。
 しかし、マネージャーは(ああ、また、言い逃れが始まった)と相手にはしない。
 サッサとその場を逃れることにした。
「サクランボはとっておいて下さい。誰にも食べさせてはいけませんヨ。エッ梅酒ですか?健康にいいんでしょう。気がむいたときにしましょう」

 手塚はまた机に向かった。
 仕事場にはひとり、ふたりとアシスタントが戻って来た。

(文中イラスト/たかはしよしひで)

(文中の敬称を略させていただきました)

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