手塚治虫からのハガキ

1 至福の時間 


 
 手塚治虫は、原稿の仕上がりが遅かった。
 いつも、印刷ギリギリが当り前になっていた。
 各社の手塚の担当者(手塚番)は、この大御所には泣かさればかりいた。
 手塚の山形行きはまだオフレコのようだった。
 それを知らない井上は、自慢げに「告知」してしまったのだ。
 立ち上がって怒鳴ったメガネ男も、井上たちも気まずくなった。

 
 井上はトイレに席を立った。
 トイレは手塚の仕事場の側にあった。
 昼間だというのに、窓からの光だけの薄暗い仕事部屋を通り、トイレに入った。
 慣れない旅のせいか、それとも寝不足の為か、オナラばかりで肝腎な用が足せない。
 10分ぐらいトイレにしゃがみこみ、何とか不満足ながら用を足すと、鎖がないことに気づいた。
 水洗トイレの水を流す鎖が見当たらないのだ。
 トイレを丁寧に探索した。
 けっきょく鎖は途中で切れていたために、背伸びして手を伸ばさなければならなかった。

 トイレから出ると、右手の方に視線が行った。
 ついたて越しに、背を丸めながら下書きを描く大柄な姿を、井上は立ち止まって見た。
 手塚先生が原稿を描いているその姿だ。

 
 あれは中学二年生の時だった。

 石森章太郎の『マンガ家入門』を読んだ事と、COMの影響だった。
 本格的に、ケント紙に製図用黒インキ、カブラペン、Gペンなどで、マンガを描き始めた。
 追い討ちをかけるように、集英社の『少年ブック』に、手塚治虫の『マンガ大学』が二回にわたって付録になった。
 この『マンガ大学』は、マンガ少年がマンガ家になるまでを小説にし、ページの所どころに、マンガの描き方が紹介してあった。
 手塚版マンガ家入門だった。
 この付録を読んだ井上は、むしょうにマンガを描くことに取り憑かれていった。
 同級生の渡辺清や佐藤修一らも、一緒に描き始めた。
 ストーリーマンガらしきものや、当時テレビで人気のあったドリフターズをモデルにした、ギャグマンガを描いたりしていた。
 当時は、マンガをコミックと呼び始め、貸本マンガを描いていたマンガ家が、少年誌に進出したり、青年誌が創刊されたりした時期でもあった。
 井上は、手塚マンガを模写するが、どうしてもあの曲線や、顔の目鼻や、耳の位置が立体的に描けないのだった。
 美術部に所属していた井上は、一学年先輩の桑野博に師事していた。
 井上は、ひさしぶりに部活に行った。
 その日、桑野と桑野と同じ学年の苅田、そして井上の三人は、中学校の裏の田んぼにスケッチに出かけた。
「井上。お前はマンガが得意なんだって。最近、あまり部活に来ないのはマンガを描いているからだってなあ」
 歩きながらスケッチブックを持ち替えて、二重の目が眠そうにもとれるような目で桑野は井上に言った。
「マンガはいいぞぉ。オレも好きだ。井上はマンガ家では誰が好きなんだ」
 苅田が問う。
「手塚治虫先生です」
 井上は答えた。
「ほう。手塚治虫か。すごいデッサン力だよな」
 桑野が言う。
「井上のマンガを見せてみろ」
 苅田が言った。
 井上は「ハイ。これです」と、すぐにスケッチブックを開けて見せた。
「オイオイ、近藤先生に見つかったらたいへんだぞ」
 あきれてそう言いながら、桑野はスケッチブックに描いてある井上のマンガを見た。
「井上。デッサン力がないよ。石膏デッサンからやり直せ」
「桑野クンはマンガがわかるんですか?」
「ウン。デッサン力はマンガであろうと、絵画であろうとかわりない。だからオレは手塚治虫を認めるが、井上はまだまだ認められん。明日からサボらないで部活にこい」
 次の日から、井上は美術部に通う。
 ひたすらデッサンをして、桑野に評価を仰ぐ毎日が続いた。
 手塚は、広い仕事場でひとり黙々とマンガを描いていた。
 午後の光は、隣のビルの隙間と微妙なブレンドを交わして、仕事場の静けさを一層誘っている。
 その光景は、まるで林の中を想わせた。
 井上は立ち止まって、この貴重な一瞬を心のアルバムに残そうとしていた。
(手塚治虫先生とふたりっきりだ・・・・・・。夢にまで見た手塚治虫が、すぐそこでマンガを描いている)
 恍惚といえば、あまりにも適していない表現かもしれない。
 しかし、誰が見ても今の井上の表情は、そう感じてもおかしくない「うっとりとした表情」だった。


 
 井上は、手塚治虫から届いた二度目のハガキのことを思い出した。

 それはマンガを本格的にペンで描き始めた中学二年のときに、手塚治虫宛てに、
「一度会ってマンガを見てもらいたい」
と、手紙を書いたのだ。
 手塚は、あまり待たせない期間で、ハガキで返事をくれた。
 

「おたよりありがとうございます。東京に上京する際は事前に連絡を下さい。一生懸命マンガを描くのも良いのですが、勉強もがんばって下さい。お会いする日を楽しみにしています。 手塚治虫」

 万年筆で書いたのだろう。
 青いインクでその文字は書かれていた。
 久しぶりに手塚に手紙を書いて、また、返事がくるとは井上自身も驚いた。
 すぐに同級生の渡辺清に電話をしてこのことを伝えた。
「井上おめでとう。よかったなあ」
 渡辺からの答えは、井上にとっては意外だった。
 まるで手塚に何か大それた事を認められたような、そんな感じを受けたのだ。
 でも、米沢という東北の小さな田舎町では、時の人でもある手塚治虫からハガキをもらうことは、とんでもなくすごいことなのだ。
  特に、同世代にとっては、マンガ家として将来が約束されたような、そんなすごいことだった。
 家人にハガキを見せると、また「ふ〜ん」と一言いわれただけで事は終わった。
 家人の対応は、すごいことでも、特別な事でもない振る舞いだった。
 そのことで井上は、ことの事態を冷静に受け止めることが出来た。
 しかし、このハガキが来たことで、井上はますますマンガを書くことに、没頭していくのだった。
 
(あのハガキをもらいながら、結局手塚先生には会ってはいなかった。あれから三年経って、今、手塚先生と仕事場にふたりでいる。何か因縁めいたことがあるんだろうか)

 井上は、そっと足音を忍ばせて仕事場を出た。

 
「そろそろ、次に行かないと行けない時間だネ」
と、村上が言った。
 手塚から「後でまた・・・」といわれて待っていたが、これ以上待つことが出来ない。
 マネージャーらしき男に、三人は礼を言って席を立った。
「キミたちも頑張んなさい」
 編集者のひとりが、声を掛けてくれた。

 5、6人いた待合室の編集者も、いつのまにか3人に減っていた。
(文中イラスト/たかはしよしひで)

(文中の敬称を略させていただきました)

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