漫画少年

1 漫画少年
 
 
 石井の机の側には、畳から高く積まれている『漫画少年』があった。
 井上はそれを見つけた。
「編集長さん。『漫画少年』を見てもいいですか?」
「ああ、これね。どうぞ」

 
 井上が、恐る恐る『漫画少年』を手にとる。
 一冊、一冊は薄い雑誌だが、手塚治虫の『ジャングル大帝』や、石森章太郎のデビュー作『二級天使』が連載され、15〜6年前の作品は今では味わえない丁寧に描き込んだ新鮮な絵が紙面に躍っていた。

「たかはしセンセイ、見て、見て。この絵が好きなんだ」
 手塚の絵を指差す。
 『ジャングル大帝』のレオの顔が、アニメ化される以前のレオナルドダビンチ風に描かれている。
「井上センセイも、このころの絵が好きなんだがあ?」
「いや、もう少し後になるともう少し線が整理され、丸い線になってくる……、そうそう『鉄腕アトム』のスフインクスあたりの絵が好きだなあ」
「こうして見ても、手塚先生の絵の変化ってずいぶんあるんだサなあ。アシスタントによって左右されてんのかなあ?」
「石森先生は『二級天使』を連載していたときは、まだ高校生だぞ。オレたちのときにはこんなすごいこと描いてたんだ」
「たかはしセンセイ。この絵を見ると昔のヨーロッパの感じだね。それからこの小さなコマにこんなに描きこんでいると、無声映画時代の雰囲気も漂うね」
 投稿者のページをめくると、現在マンガ家やアニメ界で活躍している者の名前が目立つ。
 しかし、掲載されている名前の数からすれば、その数はほんのわずかであり、後の人たちは、今どこでどのような生活をしていることやら、月日の中での変化を感じる。
(いずれ、オレたちもマンガの世界から離れていくのか、それとも、どっぷりつかってしまうのか、誰もわかんねえよなあ)
 そうたかはしは、考えた。
「えっ、転勤なの?」
 石井の驚嘆した声が編集室に響いた。
 それは、村上がこの秋から、酒田から三重県四日市に転勤することを伝えたときだった。
「だからお願いです。今回のまんが展の実績で、『ぐらこん山形支部』を認可していただきたいのです。それが、ボクの山形における総決算だと思っているんです」
「村上クンの考えは、よくわかりました。キミたちの活動は、他の同人会にないユニークさと、社会性があるんだよね。それは秋山も高くかっている。この2回のまんが展は、同人誌やキミたちの作品を、これだけ大々的に社会にアピールするなんてめずらしいよ。しかも、COM掲載の原稿も展示するだろう。マンガを知らない者が、これを見たら驚くよ。マンガの成熟と変革に」
 石井は、タバコを口にくわえた。
 よく見ると、ショートホープだ。
「問題は作品だね。今のところ、関西支部は作家も着実に育っているが、東北では、そこが弱いんだなあ」
 石井はショートホープの箱を、指でたたきながら言った。
 村上は、自分の構想だがと断ってから、次のように話した。
「酒田、米沢は確かに作品としてはまだまだ未熟です。しかし、山形には有望な者がいます。そこにいる、たかはしよしひでクンです。彼は『SFパトロール』という短編や、『大支配』という超大作を演出しています。センスがいいんです。彼は描きこめばきっとプロとしても、育っていくと確信しいるんです」
 石井は、村上の話に耳をかたむけながら、たかはしが持参した肉筆回覧誌「ステップ」をめくり、たかはしのマンガを見た。
「それから、寒河江にいるかんのまさひこクン。かんのクンは、『ジュンマンガ』で入選しています。しかも、短編で木下恵介のような人間の心情を描いています。デッサン力はこれから努力すればいいとこだし、今のように、暗い先のみえない時代には、彼のようなマンガが求められる時代が来る予感がするんです」
 かんののマンガに目を移す石井は、村上の声をさえぎるように言った。
「かんのまさひこ・・・ね。詩情的だね。それに心に残るね。これなら今からでも通用するね。絵もオリジナルだし、個性があるよ」
「たかはしよしひで・・・はアニメっぽいね。アニメの方がいいのかなあ?石森さんとひょっとすると森チャン(真崎守のニックネーム)に近い感性かなあ」
 ポツリと言った。

「ハッハッハクショ〜ン」
 たかはしが、大きなクシャミをした。
 『漫画少年』の読者は、マンガ家志願やマンガを描くことが好きな者たちの雑誌だった。
 井上たちは、同人誌のブームは『COM』が作ったものと思っていた。
 しかし、すでに15〜6年前にこの『漫画少年』は、第一次同人誌ブームをつくっていた。
「ほら、見てみろ。こんなに同人誌が紹介されている。おおっ、東日本漫画研究会の『墨汁一滴』だぁ」
 たかはしが叫んだ。
 東日本漫画研究会とは、石森章太郎が高校時代に宮城県で作っていた同人会であった。
 その同人誌名が『墨汁一滴』だった。
 当時から今日までこの『墨汁一滴』は最高の同人誌として評価されていた。
 同人会を主宰する者たちは、誰もがこの『墨汁一滴』を目標に頑張ってきた。
「こんなに薄い雑誌なのに、内容は今の『COM』をしのぐんじゃないかい」
 たかはしは分析する。
 井上は、ただただ感心しながら、『COM』のルーツや、漫画同人会の原点をみた思いがした。


2 プロポーズ


 
「石井さん、池袋に戻りますから」
 大塚が言った。
「校ちゃんにこの原稿渡しといてよ。それから、手塚さんに後で村上クンたちが行くから、時間とってくれるように、電話入れてて。あっ、マネジャーがいいかなあ」
 石井は大塚に指示をする。
「おい、すげえなあ。手塚さんって、手塚治虫先生だぞ。会えるんだ、マンガの神様に。井上センセイ・・・ばあちゃんの梅酒、飲んでもらえるぞ」
 たかはしは、興奮気味になる。
 井上は、石井と大塚の会話を聞いてうれしくなった。
 業界用語が、自分の目の前で飛び交う。
 しかも、あこがれの手塚治虫のスタッフたちだ。
 日本のマンガ界をリードする、このプロデュース集団の編集室で、山形から来た「マンガ少年」を相手に、話が交わされている。
 とてもたいへんなことのようだが、一方では冷静に、来るときが来た、という思いもあった。
(これが東京だ。これが現実だ)
 井上は、こんな仕事が出来たら楽しいだろうなあと、石井や大塚をうらやましく思った。

「ぐらこんになっても、活動は今までどおり、酒田、山形、米沢と地区毎に行なおうと思います」
 村上は石井に話を続けた。
「村上クンの後の、まとめ役は誰がするの?」
 石井が問う。
「そこにいる、井上クンを考えています」
 石井は、心配そうに『漫画少年』をみている井上を見た。
「まだ、高校生じゃないか」
「ハイ。彼はマンガを描いているより、マネージメントやスタッフとして活躍した方が、適任とみてます。今回の漫画展も、経費面や運営面は一切任せきりにして、テストしています。でも、ご心配なく、もちろんチェックは、ボクとたかはしクンが行なっていますから」
 石井は、いつの間にか何本目かのショートホープに火をつけていた。
 煙は、半分開きの窓の方に、流れていった。
 窓から見える外の景色は、すっかり晴れわたり、初夏の日差しに変わっていた。

「なるほどね。適任がそれぞれいるわけかあ。実はぐらこんの件だけど、秋山からバトンタッチして、さっきまでいた大塚ちゃんに任そうと思っているんだけど」
「秋山さんは配置替えですか?」
「適任といえば秋山みっチャンなんだけど、社内でいろいろあって、彼から辞表を預かっているノ」
「辞めるんですか!?」
 村上はびっくりした。
 でも、どうしてこんな人事のことを、自分なんかに話すのだろうと不思議に思った。
 石井の顔をなめるようにみながら、そのことを聞いてみた。
「どうして、そんな虫プロ内部の大事なことを、ボクに聞かせるのですか?」
「キミだから話すんだヨ。村上クンだから!!」
「四日市よりここの方が、キミの性にあっていないかい?」
「エッ!? ………あッ」

 村上は「プロポーズ」であることを直感した。

(文中の敬称を略させていただきました)

はじめちゃんの東京騒動記第6回  

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