COM編集部

1 目白


 
 虫プロ商事を出た一行は、再び池袋駅に向かった。


 雨はあがり、その代わりに湿気をたっぷりと含んだ、ムッとした暑さが街を襲った。
 今度は大塚が先頭になって4人連れで歩く。
 大塚は小綺麗な長髪だった。
 駅に近づくにしたがい長髪の若者が目立ってくる。
 若い女性は山形では見慣れない超ミニスカートだ。
「やっぱり東京だな。井上センセイよお。(垢抜けしてっどれ…)」
 たかはしは、顔で合図をした。

 村上は大塚と話しながら、みんなの分の切符を買う。
 山手線で池袋の隣の駅、目白で降りた。
 徒歩五分のところにそのマンションはあった。
(マンションといっても、アパートと少しもかわらないじゃないか・・・)
 井上にとっては、ちょっぴり期待はずれだ。廊下の側はすぐ外だ。


 そもそも『COM(コム)』という雑誌は、手塚治虫のヒット作『鉄腕アトム』のファンクラブの機関誌が発展したものだった。
 昭和四十一年に創刊し、「エリートのための月刊誌」のキャチフレーズがついた斬新な雑誌だった。
 鉄腕アトム色は一切なく、手塚自身『火の鳥』を連載、石森章太郎はファンタジーワールド『ジュン』というストーリーも吹き出しもない実験作を連載する。
 永島慎二はアニメを止めて『フーテン』という私小説的なマンガを描いたり、大衆誌では味わえないマンガ月刊誌だった。
 また、「COM」のもう一つの「目玉」は、マンガを描く者に門戸を広げ、マンガ家の新人募集を公募した最初の雑誌だった。
 そして、マンガ同人誌ブームをつくり、描き手を全国に広めた。
 村上の『ビッキ』(山形漫画予備軍)も、たかはしの『ステップ』(山形漫画研究会・ホップの前身)、井上の『JUN』(米沢漫画研究会)などの山形県下の同人誌も、その影響によるものだった。


 マンションの二階の一室を「COM編集室」として、使っていた。

 トントンとドアをノックし、大塚はドアを開けた。
「石井さん。お連れしました」
 村上は、緊張した顔になった。
 たかはしは、サクランボの籠を持ち直した。
 井上は、キョロキョロしながらマンションから目白の街並みを見ていた。
「さあ、中に入って下さい」
と、大塚は村上たちを先に玄関に招いた。
「こんにちは」という挨拶の声と一緒に、三人は元気に玄関から中に入った。


 マンションは4LDKだった。
 机に向かっていたその人は振り向いた。
 長髪でサングラスをかけたこの男性は、気取ることもなく、ニコニコしながら椅子から腰を上げて近寄って来た。

「いらしゃい。石井です」
 COMの第二代編集長石井文男は、自分の机の近くに三人を招き、村上に気軽に声を掛けた。
「ごぶさた。といっても四月以来だから三ヶ月ぶりかい?」
「今回もお世話になります」
「いやいや・・・でも、感心するね。君たちの熱心さには。秋山君も感心しているよ」
「まんが展をとおして、今のまんがの偏見と社会性を訴えたいんです」
「同人会でまんが展を開催すること事態、変革というか世の中の新しい動きだよ」
 石井が酒田に続いて米沢で行なわれる『山形まんが展』について、これほど評価してくれるとは三人共予想もしていなかった。
 うれしかった。
 特に村上のうれしさは格別なものだった。
「村上センセイ。お土産のサクランボどうします?」
 またぞろたかはしが、後ろから声を掛けた。
「あっそうそう。石井さんお土産のサクランボです」
 村上の声に合わせてたかはしは、サクランボを石井に手渡した。
「お土産でごんす」
「ありがとう。貴重なサクランボだね」
 奥から背のスラリとした女性が、冷えた麦茶を運んで来た。
 たかはしは、顔立ちや後ろで止めている長い髪を、印象深く見つめていた。
「編集事務の萩原洋子さんです」
 石井が紹介した。
 村上は慌ててたかはしと井上を石井たちに紹介した。
「サクランボって、桜の樹になるのかしら?」
 萩原洋子は、つぶやいた。


 石井は別室から、マンガの原稿が入っている封筒をたくさん持ってきた。
「この原稿見てよ。これでよかったら貸してあげるから」
 石森プロ、手塚プロ、フジオプロと封筒に書いてある。
 その文字やロゴマークを見ただけで、たかはしと井上はドキドキと胸の鼓動が高鳴る。
(手塚プロがあるなんて知らなかった。この「手」のマークが手塚プロだなんて知らなかった。ここは東京だ。やっぱり東京だ。)
 井上は雑誌やマンガからは見えてこない、マンガ業界を今感じている。
 「手を洗わして下さい」
 たかはしが言うと、井上も「オレも!」と続いた。
 あこがれの手塚治虫や石森章太郎らのナマの原稿を手にとることが出来る。
 原稿を汚してはいけないという配慮が二人の頭をよぎった。
 たかはしは手を軽くたたき、拝む。
 それを真似る井上。
 二人の何ともいえないその姿を、笑いをこらえて石井、大塚、萩原は見守る。
「オレは、石森センセイの『009』の原稿を、拝見さしてもらうっス」
 たかはしが封筒から原稿を恐る恐る取り出す。
 手が、緊張のあまり、小刻みに震えるのがわかった。
 山形にいては、プロの生原稿なんて、めったには見られない。
 まして、直にその手にすることなんて、夢の世界なのだから当たり前だった。
 たかはしは、自分が幸運であることを、漠然と感謝していた。
 井上も、手塚治虫の『火の鳥鳳凰編』の原稿を、やはり震えながら見た。
 手塚も石森も、原稿用紙は模造紙を使っていた。
 無造作にペーパーナイフで模造紙を切ったのだろう。
 紙の端は、紙を引っ張って切った後が残っている。
 手塚の原稿は、意外にきれいではなかった。
 ベタは薄く、消しゴムの残り、鉛筆の跡が原稿に残っていた。
 しかし、そのペン使いには動きがあった。
 あたたかい線でしかも躍動的に、瞬時にペンを動かして描いていることがわかる。
 自分の線に対する絶対の自信なのだろうか、まるで迷いがないのだ。
 しかも、丸い線があたたかい。
 ペンはカブラペンを使っているのだろう。
 インクではなく、墨汁のようだ。
 だから、人物の曲線が誰よりも柔らかいのだろう。
 マンガの原稿とは、雑誌に印刷される大きさの、1.2倍から1.5倍拡大して描いてある。
 だから、雑誌では味わえないテクニックや技巧がよく解る。
 しかし、手塚の原稿を見てあまりのオーソドックスさに井上は、
「職人だ。真似できないなあ。この線は・・・」
と、あらためて思った。
 石森の原稿は、手塚と同じカブラペンで墨汁を使っているが、どこか手塚とは違って、
「オレにも描けるなあ」
と、思える技巧だった。
 構図がすばらしく、画面が実際よりも大きく感じる。
 しかも、手塚の構図と比べてもアカヌケしているので、映像に近いのが特長だ。
「この構図は参考になるぞ」
 たかはしは、目を皿のようにして、その技巧を必死に盗んでいた。
 手塚治虫の『火の鳥』は、 『COM』が創刊したときからの連載で、『鳳凰編』で四部目になる。
 過去の作品も人気があったが、鳳凰編は今までの火の鳥と比べても人気がピークに達し、毎月、毎月待ちどおしい読者が大勢いた。
 また、絵もリアルになり、手塚の変化がうかがえる作品であった。
 石森章太郎の『サイボーグ009』は、週刊雑誌を三誌渡り歩き、すべてヒットした石森マンガの代表作だった。
 COMは、四誌目にあたる。
 しかも、志向を改め、以前COMに連載し小学館マンガ賞を受賞した「ジュン」の流れを組む「ファンタジーワールド」系で描いていた。
 石森自身、見せる絵を描くことがこの時がピークであった。
 松本零次、つのだじろう、宮谷一彦、赤塚不二夫ほか、そうそうたるマンガ家の原稿と見比べても、技巧や構図は手塚や石森はまさに別格であった。
 二人は、それぞれの尊敬するマンガ家の原稿を手にした感激で、体が熱くなるのがわかった。
「汗が滴るといけないよ」
 村上が二人に注意した。
 石井はニコニコしながら、
「純だね・・・」
 そう言うと、タバコに火を点した。

(文中の敬称を略させていただきました)

はじめちゃんの東京騒動記第5回  

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