1 池袋
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- 雨はどんどん強くなっていく。
- 上野駅からは、山手線に乗りかえ池袋に向かう。
- そこには手塚治虫が社長をつとめる「虫プロ商事」がある。
「時間がまだまだあるから、喫茶店でコーヒーでも飲んで時間をつぶそう」
村上たちは駅の構内から改札口を出た。
駅の外は東京の臭いがした。
腐った魚と水が合わさったような、独特の臭いだった。
「こだえ早くから食堂は開いでるし、喫茶店も開いでるなて、まず、山形では考えらんにぇったなぁ〜」
たかはしが、両手の荷物を持ちなおしながら話す。
折りたたみの傘を持参しているが、みんな荷物を抱えているために、濡れながらも急ぎ足で薄暗い純喫茶に入る。
出されたコップの水が、また鼻をつく。漂白剤のような臭いだ。
(まずい水だ。これが東京だ)
井上は嫌味ではなく、素直にそれを認めていた。
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午前9時近くになり、三人は駅前の喫茶店を出た。
南池袋に向かって歩き始める。
背広姿の村上が先頭になり、長袖のワイシャツをまくり、黒い学生ズボンのたかはし、井上がその後を続く。
井上は、小ぶりになってきた雨を感じないほど、大きいビルと自動車の騒々しい池袋の街並みを見渡して歩く。
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2 虫プロ商事
「ここだ」
村上は、横田ビルと書いてあるビルの玄関を指差した。
村上が、ここを訪れるのは、これで二回目であった。
この年の春に、酒田市清水屋デパートを会場に、『第一回山形まんが展』を開いた時に、手塚らの原稿を借りに来ていた。
ビルに入ると、正面にエレベーターがある。これに乗って 階に行く。
『虫プロ商事』とドアの素ガラスに書いてある。
「おはようございます」
三人が、声を合わせて室内に入って行った。
若い男性が、こちらを向いた。
「山形から来ました、村上といいます。秋山さんはいらしゃいますか?」
メガネをかねた若い男性は、ニコニコして、
「お待ちしていました。秋山は出張で留守なので、私がお相手するように秋山から言われています。どうぞ、そちらにお掛け下さい」
そう言って、入り口右側の応接室に案内した。
「大塚といいます。大塚豊美です」
長髪でTシャツ、Gパン姿が都会的でいかにも編集者という感じがする。井上は、
(かっこいいなあ。着こなしと雰囲気が違う。これが東京だ)
と、大塚の姿にみとれた。
秋山が留守なのだったので、村上は心配そうな顔をした。
「秋山さんには、春のまんが展の時にはたいへんお世話になりました」
村上は、社会人らしくなれた口調で穏やかに話した。
秋山とは、虫プロ商事『COM(コム)』編集者で、秋山満といった。まんが家志望者や、まんが同人会の窓口を担当していた。
村上は電話で交流を続け、前回のまんが展と今回のまんが展に展示するプロのまんが家(同人たちはアマチュアまんが家と思っていた)の原画貸し出しの協力者だった。
「COMの編集室は目白のマンションに引越しました。あ、そのことはご存知ですよね。最新の原画はそこにありますから、これから行ってみましょう」
村上は秋山が電話で打ち合わせしたとおり、依頼した件を大塚に話をつけていたことがわかると安心したのか、いつもの顔に戻っていた。
「村上先生。サクランボはどうします」
たかはしは、お土産を持ち上げた。
「あ〜そうそう。あの、これサクランボですが、お土産です」
村上がそれをたかはしから受け取り、大塚に渡そうとした。
大塚はすかさず両手でそれを制止した。
「ありがとうございます〜。そうだ目白に行ってから編集長に渡していただけますか?」
(スゴイ!! 編集長に会えるんだ)
井上は、何でこんなに身近で事が進んで行くんだろうと、驚きながら思っていた。
(さすがに、ここは東京だ。日本を動かしている東京だ)と。
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