1 酒田へ
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- 7月5日、日曜日。
- 70年期待の大型新人「井上はじめ」は、一人さびしく米沢駅に向かった。
- カバンにはまんがの原画、同人誌の資料、それに手塚治虫先生へのおみやげ、特製の「梅酒」……。
彼はある目的で東京に行くのであった。
- 目的?それは何か?
それは……それは……彼が所属する「米沢漫画研究会」、それに山形県下を支配する最高のまんが同人会「山形漫画予備軍」との主催で八月に行う『第二回山形まんが展』の協力を「COM編集部」「虫プロ」「東映動画」に頼みに行くのであった。
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上の図をみたまえ。
- 彼はひとまず酒田に向い、そこで「山形漫画予備軍」の親分「村上彰司」さん、それに同会山形地区長「たかはしよしひで」さんと落ち合い、三人で東京に向かうのである。
彼は急行券を買った。
- なんと「急行千秋一号 もがみ号」に乗るのである。
- 急行券を持った彼の手は震えていた。
- いつもドンコしか乗ったことのない彼にはこの上ない喜びであった。
「井上くん」
- 呼ぶ声にふと後ろを向くと、そこには数人の友人が立っていた。
「何時の電車で?」
- ひとりの少女がたずねる。
- 「八時です」
「じゃあ……気をつけて……」
その言葉は、彼の心の中に大きく響きわたる。
- 彼は葛藤に似たふしぎな何かが心に広がるのを感じていた。
友人に別れを告げた彼は、一人車中の人となる。
グーンゴットンゴットン
電車は動き出した。
まんが家は常に孤独……
ゴットンゴットン
まんが家は常に孤独……
彼、井上肇は、そう思っていた。
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- 2 酒田にて
「さかた〜っ。さかた〜っ」
米沢から三時間、ようやく私は酒田に着いた。
「やあ!!」
村上さんが迎えに来てくれた。
「こんにちは」
「よく来たノン。しばらく」
村上さんの愛車ホンダN360に乗って村上さんの家へと向かう。
村上家に着くと早速「まんが展」の打ち合わせを行なった。
- 米沢で開かれるだけあって私は責任重大だ。
- 細い眉毛をくくり上げ、きりりと冷たいまなこをいっそう輝かし、村上さんの話に耳を傾けた。
村上さんはさすがに落ち着いている。
「ここはノ、ああやたらどうかノン。やっぱりこうやるかノウ」
「村上さん、やはりああやったほうがいいべえ」
酒田弁と米沢弁のやりとりである。
やがて、打ち合わせも一通り終わって一段落。
「さあて、まんがでも読もうかノウ」
- 待ってましたとばかり、私はいつものニヒルな笑いを浮かべた。
ガラリと隣の部屋を開けてびっくり玉手箱。
- 天と地が逆さまになったような気がした。
- 私は一瞬、自分の目を疑った。
- こんなことがあっても良いのだろうか。
- 気が狂いそうだ。
- 何たることだ。漫画、まんが、マンガ……。まんが雑誌で埋められた部屋。
- 何冊、いや何万冊あるのだろうか?
- 床の間には、一ミリの隙間もないほど、高く雑誌が詰まれていた。
- 私はあまりの驚きに、腰が抜けそうになった。
「さあ、読みたまえ」
村上さんが数冊差し出してくれたがとても読む気になれなかった。
- 雑誌の山に酔ってしまったためだ。
「村上さん。同人誌をみせて下さい」
「う、うん。じゃあちょっと待って」
ゴソゴソ「あいよ!!」
差し出された同人誌を見てまたまたびっくりした。
- 「ギャア〜ッ」と今にも発狂しそうであった。
「井上くん。これが僕たち酒田の会員で作った日本一大きい同人誌『ビッキ』だよ」
その大きさ、厚さといい、今まで見た同人誌にこんなドデカイのがあっただろうか。
- それは、B4判のケント紙に描いた原稿を針金で綴じてあった。
これが噂にきいていた「ビッキ」か。
- 「ビッキ」を持った私の手は震えていた。
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- 昼食を済ませ酒田見物へと二人で街へ出た。
- 酒田の人口は約十万人。米沢と大差はないが、酒田の商店街は米沢に比べて、ぐっと活気にあふれていた。
- しかし、港町といった雰囲気はなく、何かと素朴な感じがした。
酒田の名所旧跡をまわった。
- その中で一万トン岸壁から見た日本海は、太平洋と違ったどこか深く落ち着いた感じがした。
再び街にもどった。
- 「バタン!!」
- 自動車のドアを閉め、本屋に向かおうとしたとき、村上さんは私を呼びとめた。
「イ・ノ・ウ・エ・くん……」
- 「はっ、はい」
- 村上さんの異様な呼び方で私はただ事ではないことを悟った。
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