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夜行列車「津軽」はほぼ満席だった。
村上は指定席を準備していた。
三人は座席に着いた。
三人は座ると流れる汗をハンカチで拭いた。
「みんな疲れたろう。
さあ、これを飲みなさい」
村上はビンに入った「ファンタオレンジ」をたかはしと井上に配った。
たかはしは早速一口飲んで言った。
「おお〜っ、ファンタスティック!?」
三人は一斉に笑った。
井上は手提げ袋に入れた借りてきたマンガ原稿を抱きかかえていた。
「井上センセ、緊張しているんでないスか。
大丈夫だから。
誰も手塚治虫センセや石森章太郎センセたちの原画があるとは考えてもいないスから」
と、たかはしが言った。
「いやあ、でも責任があるんでこうしています。
それにこんな光栄なことは滅多に味わえないんで……」
井上は答えて、顔を窓にくっつけ、目を込み合う上野駅のホームに移した。
雨は止んでいたが湿度が高く、ホームを歩く人たちはハンカチや手拭で首や顔を拭きながら歩いていた。
夜汽車の客目当ての弁当売りが声を高くして足早に電車の傍で売り声を上げていた。
井上は今日一日の夢のような出来事を想い出していた。
早朝に手塚治虫先生の自宅に電話を入れて奥さんと話したこと、
虫プロ商事に行ったこと、
目白のコム編集室で石井編集長からプロのマンガ原稿を借りてきたこと、
手塚治虫先生と直接話をしたこと、
秋田書店「少年チャンピオン」の編集者に怒鳴られたとこ、
虫プロダクションに行ったこと、
手塚治虫邸の大きさにビックリしたこと、
ちばてつや先生に会うことになったが家がわからなくってすっぽかしたこと、
東映動画に行きあまりにも映画会社っぽくてびっくりしたこと、
新宿西口の雑踏で漫画アクションをみかけたこと、
新宿でマンガ喫茶コボタンに行ったことなどがスピードを増してよみがえってきた。
それはすべてが今日の出来事だった。
- 1970年、昭和45年7月6日月曜日も後2時間で終ろうとしている。
午後10時30分、急行「津軽」は上野駅を出発した。
三人は無言になっていた。
しかし、三人は目はしっかりと開き、電車の窓から夜の灯かりを追っていた。
三人は興奮がまだまだ覚めなかった。
井上はマンガの原稿が入って手提げ袋をしっかりと抱きしめ直した。
額から汗がポトリと膝に落ちた。
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- 午前3時47分、急行「津軽」は米沢駅に到着した。
まだ暗い朝だった。
「はじめちゃんの東京騒動記」第一部・完
- (2006年3月18日記)
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近日中に第二部を発表します。
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