32「帰ってきたヨッパライ」

 

尊敬する手塚治虫先生からのハガキには
「それから上京する時は事前に連絡をください。
 楽しみにしています」
と書かれてあった。
このことで井上はますますマンガを描くのに力が入った。

しかし、佐藤修一も渡辺清も中学三年生になったことで、高校受験のための勉強に力を入れるようになった。
当然、マンガなどを描いてる場合ではない。
井上だけが描き続けていた。

そんなある日のことだった。
佐藤修一は一枚のレコードを持ってきた。
「オイ、この歌知ってるかい?」
と、周囲の友だちに話しかけた。
みんなは知ってるぞと佐藤の所に集まってきた。
そのレコードとは「帰ってきたヨッパライ」ザ・フォーク・クルセダーズだった。
佐藤は歌を唄った。
「♪おらは死じまっただぁ〜
 おらは死じまっただぁ〜
 天国さいっただぁ〜」
井上はその様子を離れて見ていた。

佐藤修一はいつも「流行」(はやり)を教室に持ち込むのが得意だった。
しかも、成績はクラスでいつも一番で学級委員長を務めていたから、クラスでも一目置かれていたので流行にも説得力があった。


その日、佐藤は渡辺清と井上を誘って上杉神社の中にある児童遊園地に行った。
児童遊園地は客もいなく、ゴーカートや電車も動いていなかった。
流行の歌謡曲がスピーカーから流れており、場違いな雰囲気になっていた。
児童遊園地にはいいにおいがしていた。
こんにゃく煮のにおいだった。
こんにゃくを割り箸で刺して、しょうゆとイカで煮る「こんにゃく煮」が山形での名物だった。
お祭りには欠かせないものだった。

三人は椅子に座ってそのこんにゃく煮を食べていた。
佐藤が井上たちに言った。
「この『帰ってきたヨッパライ』って曲は、ラジオの深夜放送『オールナイトニッポン』で人気になって昨年末から大ヒットしている。
 この曲を初めて聴いた時はショックだったなあ」
「だってテープレコーダーで早送りしているような声だろう。
 しかも、酔払い運転で死んで天国に行って、そこでも懲りずに酒飲んで、女に恋しする話なんて、とんでもない内容だろう!?」
「お経も入っている。この歌は大学生の自主制作LPレコードからピックアップしたんだってよ」

と、佐藤は「帰ってきたヨッパライ」の解説をした。
「だが、このレコードはもう家では聴けない。
 父ちゃんに言われたんだ。
 お前何考えているんだって。
 もう中学三年生だぞって。
 こんなことばかりしていては希望する高校にはいけないぞってなっ!」
「修ちゃんはクラスで一番成績が良いんだから大丈夫だよ。
 危ないのはオレだよ」
 と渡辺が言った。
「オレなんか、からだがついていかないから、勉強なんてあまりしていない。
 最近はマンガは描いているけど、興譲館(普通科進学校)は無理だ」
と井上が言った。
「井上はいいよ。
 お前はいずれマンガ家になるんだからな。
 手塚治虫先生から直々にハガキをもらっているくらいだから見込みがあるんだ」
と渡辺が言った。
「そうだ、そのとおりだ。
 井上はマンガ家になれよ。
 そこでこのレコードをお前に預ける。
 家に持って帰っても父ちゃんがうるさいから……」
 佐藤はカバンからレコードを出して井上に渡した。

「帰ってきたヨッパライっかあ」
 静かにポツンと井上が言った。

(2006年1月8日記)

(文中の敬称を略させていただきました)

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