- 「けいじとえいこ」
井上は宿題を早々に済ませて机に向かった。
- 同級生の丹野文雄や藤倉源一からの激励がとてもうれしかった。
- 小学校のとき以来の感激だった。
- 小学校の4年生のときに井上は「井上IH文庫(いのうえいはぶんこ)」を設立して、自分でマンガを描いてはクラスの中で回覧をしていた。
- そのたびに友人たちは激励をしてくれた。
- 手塚治虫先生からのハガキを見せたら一躍ヒーローになった。
- しかし、中学校に入学してからの井上は、虚弱体質が災いして通学と宿題と体力との闘いが毎日続くのであった。
- 中学1年生のときは顔と頭、耳の中がただれて一年中包帯だらけの日々だった。
- 自宅から4キロ以上もある中学校への通学で体力をほぼ遣いきるために、授業にもついてはいけず、宿題はさっぱりわからないという状況だった。
無我夢中の2年間が過ぎようとしていたときに、再びマンガを描くことになるとは想像もしていなかった。
- しかも今回はインクとペンを使っての本格的になっている自分に興奮を感じていた。
- 井上はあまり本を読んでいなかった。
- テレビや映画は好きでも、ひんぱんに観ているわけでもなく、描きたいテーマも特別定まっていなかった。
- 藤倉がいうような高尚な気持ちでマンガを描こうなどとは思ってはいない。
- しかし、自分が味わったマンガの感動は忘れていない。
- あのドキドキやワクワク、恐怖と悲しみ、そして喜びを自分も描いてみたい、伝えたい……それだけだった。
- とりあえず道具は揃った。
- 大きい模造紙をハサミで切りB4判の大きさまでにしていった。
- それから竹の定規で枠をとった。
- 「原稿は印刷時の1・2倍に拡大して描く」という石森章太郎の「続・マンガ家入門」に書いてあった。
- 印刷されるわけでもないのに1・2倍の寸法で枠組みを鉛筆で書いた。
- 枠組みはタテの用紙にヨコ4段に分ける。
- さらにタテ3列に区切る。
- これがB4判原稿の基本である。
- この基本は印刷されるとB5判の雑誌印刷になる。
今度はその枠組みした用紙を上にして、何枚か用紙を重ねて、枠組みの要所を烏口のお尻についてある細い針で突いた。
- その突いた穴を目印に定規で線を引く。
- 原稿用紙の出来上がりだ。
- 井上はとても合理的だと感心をした。
- マンガの基本は4コママンガというがこれがなかなか描けないものだ。
- 4コママンガの創りは「起・承・転・結」でまとめなければならないが、それが難しくてまとめることが出来なかった。
- 新聞の4コママンガの「まっぴら君」(作・加藤芳郎)や「フクちゃん」(作・横山隆一)を観てもおもしろくもなんともなく意味不明であった。
- 笑いも既に赤塚不二夫や森田拳次が時の人だった。
- 井上はいきなり小学校の同級生をモデルに書いた「けいじとえいこ」をペンで描いてみることにした。
- 内容はともあれ原稿を描くことをしてみたかった。
- 自分でも不思議なくらい気持ちが高揚していることがわかった。
- 机に向かう井上の目は輝いていた。そして一気に10ページを描き上げた。
- 時計は深夜の3時を指していた。
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