- 1 道具をそろえる
井上は製図用インクやカブラペン、スクーリングペン、丸ペン、墨汁、もぞう紙などを準備するために文具店に行った。
同級生の丹野文雄に道具のことを相談すると丹野は
- 「オレも一緒に行ってやる」
- と言って同行することになった。
丹野は背が高く髪を七三に分け、メガネをかけたインテリ風の同級生だった。
井上は好きなマンガや絵の話になると丹野と話すのだった。
丹野の父親は画家だという。
マンガの道具についてもすぐに反応してくれた。
(さすがは丹野くんだ。オレと違って知識はあるし、何でも知っている)
- 井上は頼りにした。
第四中学校の近くの今野文具店を訪ねた。
若い店主に話をしたが
- 「それは何に使うの?」と聞かれた。
井上は言葉に詰まった。
- 丹野が「それは…」と答えようとした。
「いや、いいです」
- 井上は丹野の言葉をさえぎった。
(この文具店の店主にマンガを描く道具などと説明してもわからないだろう)というあきらめと、自分が特別な人に思われることを嫌ってのことだった。
井上は小学校からマンガを描くことで一目置かれることがたびたびあった。
その度に恥ずかしく、また居心地が悪くなりとても嫌だった。
- 米沢の繁華街立町にある相川文具堂に行った。
「ねえちゃん。実はこういう訳で…」
- 女店員に丹野が耳打ちした。
「井上クン。こんにちは」
- きれいな店員は気さくに挨拶をしてくれた。
「ちょっと待っていてネ」
- 店員は店の中を歩き回って道具を集めて、井上の前にペンや紙を広げてみせた。
「文雄もマンガを描くの?」
- 店員は丹野に質問した。
「いや、井上クンだけだ。俺は親父と同じで絵を描く」
井上は初めて見る各種ペンや製図用インク、墨汁を手に取りながら目を丸くしていた。
店員は丹野の姉だった。
- お陰で道具は1割も安く買うことができた。
「がんばって、よいマンガ描いてネ」
- 丹野の姉が言った。
この数日間マンガを描く道具は揃ったが、いきなりストーリーマンガ(物語マンガ)は無理だった。
どんな場面を描きたいかは浮かんでくるが、ストーリーの全編が浮かんでこない。
ノートに物語をいろいろ書いてみるが、どれも中途半端だ。
- 嫌になってきた。
「オレは何を描きたいのだろう。描きたいものが無いから物語が考えられないのだろうか」
井上は先ず描きたい場面を描いてみた。
イラストだ。
それでもペンが紙に引っかかりインクが滲むなど、思うように描くことができない。
マンガは難しいと改めてわかった。
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- 2 COMとの出会い
中学校の帰りのことだった。
太陽は照っているが軽い吹雪が道路を滑らせる。
マンガが思うように描けないために気が滅入っている井上は、ネコ背になりながら空しい気持ちになって歩いていた。
書店の入口で転びそうになった。
「あっ本間書店だ」
- 何気なく出入り口の引き戸を開けた。
ダルマストーブの熱さが狭い本屋の中を包んでいる。
「いらしゃい」
- 痩せた店主が声を掛けた。
ぼや〜っと店を見渡し、コミック単行本の所に行く。
朝日ソノラマ発行の石森章太郎と永島慎二の単行本を手に取る。
ペンの流れがいまひとつで不器用に感じる作品が目立つ。
ふたりの初期作品と永島の貸本屋向けマンガの再掲載のためだ。
井上は(これなら描けるかな)と思った。
この2冊の単行本を購入することにした。
会計を終わるともう一度店の中に目をやる。
緑の表紙に主婦が目玉焼きをしているマンガぽいイラストの表紙だ。
“まんがエリートのためのまんが専門誌”「C・O・M」と書いてあった。
「これも下さい」と井上は「COM(コム)」も追加して買った。
井上が「COM」を初めて買った日だった。
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