作・なかにし悠


酒田の村上彰司

「さかた〜っ。さかた〜っ」
 米沢から三時間、ようやく井上はじめは酒田に着いた。
 急行を降りる乗客の流れに従いながら、井上はホームから階段を上り、そして降りて、改札口を出た。
 米沢駅とは違って改札口にはたくさんの人々が動いていた。
それだけでこの町が活気にあふれていることが感じ取れる。
 「やあ!!」
 手を振りながら、大きな声で男は井上を呼んだ。
「迎えに来てくれた!」
 井上はひとり言を言いながら、男に近づいて行った。
「こんにちは……」
 ニコニコしながら井上は挨拶をした。
「よく来たノン。しばらく」
 そう言って、男は井上に握手をしてきた。
 男は村上彰司。
 山形漫画予備軍の代表だった。

「山形漫画予備軍」とは、県内各地にあるマンガ同人会の連合組織だった。
 手塚治虫が発行していた「まんがのエリート雑誌COM」は、マンガ家を目指す若者たちの唯一の専門誌だった。
 その中に、マンガ同人誌の情報交換やマンガ家予備軍のプロのマンガ家になるための投稿ページがあった。
 そのページは「ぐら・こん」といい、グランドコンパニオンの略称だった。
 酒田で「COM」を愛読していた村上彰司は、高校時代に友人とマンガ同人会「ビッキ」を組織する。
そして酒田地区の多くのマンガ研究会(マンガ同人会と同様)を集めて、連合組織の「山形漫画予備軍」を結成した。
 COMの愛読者で山形市の近隣の中山町長崎の高校生たかはしよしひでにも声をかけ、同軍の山形支部に名乗りを上げさせた。
 そして米沢漫画研究会の井上はじめに対して、たかはしよしひでは執拗に米沢支部の結成を呼びかける。
 今年の三月には酒田で「山形まんが展」を開催し、その会場に井上を誘い、米沢支部を呼びかけたが、井上は、
「米沢漫画研究会を組織して半年あまり。
自分の組織の基礎作りが一番だ」

 と、断るのだった。
 
「井上クン、ホント遠いところをよく来てくれた。
カンシャ……感謝……や、これからじっくりと話をしたい」

 そう言って、村上の愛車ホンダN三六〇に乗って、村上の家へと向かった。
 窓を全開にしているから、バリバリという軽自動車のエンジンが車を包む。
入ってくる風が潮の臭いがした。
井上には、その臭いが魚の腐ったような感じた。
「井上クン、米沢でまんが展を開くことを承知してくれてありがとう!!」
「できるでしょうか?」

 助手席の井上は不安そうに訊いた。
「できる、できる!
ボクたちが春に開いたじゃないか。
手順をどおりやれば大丈夫だよ。
それに井上クンは美術部で高校生になってからは、結構、美術展の経験があるっていうじゃないか」
「はあ……」

 酒田の街は考えていた以上に垢抜けていた。
 商店街の看板や店頭の飾りなども都会的で派手だ。
「同じ山形県でも米沢とはずいぶん違うもんだ」
 井上は率直にそう思った。
 商店街を歩く高校生らしい少女たちも、みんな私服だ。
しかも、身体や顔つきが大人びて見える。
 こんなところで成功したまんが展が、米沢でも成功するとは限らない、と、井上は不安になった。
 車を飛ばしながら村上は大きな声で井上に話しかける。
「井上クン、ボクはこの山形県にCOMの『ぐらこん山形支部』を作りたいんだ。
そのために、まずは前身として『山形漫画予備軍』を作った。
同人会の実績もさることながら、マンガ文化を社会化するために、ボクはアマチュアとプロの共同によるマンガ展を考えたんだ」
「それが山形まんが展なんですね」

 井上が言う。
「そのとおり。
少年マガジンがどうの、巨人の星がどうのといっても、まだまだ、マンガに対する偏見は強い。
 ひとつの表現方法という認識よりも、落書きの延長としか見られていないのが現実。
ボクの会社だってそうだ。
三千人もいる『東洋曹達酒田工場』でさえも、ボクたちのマンガ同人会のことを理解してくれてる人なんて少数だ。
 だけど着実にマンガ人口は増えている。
あの集英社だって週刊少年ジャンプを、秋田書店は少年チャンピオンを創刊したじゃないか。
筑摩書房は現代漫画全集と文学全集並みの全集を出すし、いまに、マンガ家が足りなくなる時代がくると思うよ」
「だけど、それとぐらこん山形支部を作ることと、どういう関係なんですか?」

 井上には中央で起きていることと、自分たちの同人会の関連がわからなかった。



(2008年 7月30日 水曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)

熱い夏の日・第一部

山形マンガ少年 東京騒動記第8回  

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