作・なかにし悠


パパとアトム

 夏の好きな井上にとって電車から見る景色は格別だった。
 青空にぽっかり浮かんでいる白い雲。
 地平線まで黄緑に広がる田んぼ。
 そして電車の中には熱い日差しが入り込む。
しかし、それを電車の快速が車内に風を呼ぶ。

 春先に酒田に向かったときには、同じ路線なのに、空は灰色で、窓から見える景色は雪一面で真っ白だった。
 あの時は不安だったが、暑くてもいまの季節は最高だと、井上は思った。
 
 電車は山形に着いた。
「パパがここに住んで居る」
 井上にとって山形は、幼い時からよく来ていた街だった。
しかも、生き別れをした父が山形に住み、ここで働いていた。

 それには理由があった。
 井上はじめの母は出産時の帝王切開に失敗し、幼いはじめを残して亡くなってしまった。
井上の弟として生まれてきた乳児も不可解な亡くなり方をした。
 その後、養子だった父は山形に住んだ。

 電車が山形駅を離れていく。
鉄腕アトムが電車の傍から現れて、山形のステーションビルの上に向かって急上昇した。そして山形駅前のビルの間を交差して飛んだ。
 ビル街に脚を広げて浮かぶアトムの姿があった。
 そのアトムが一冊の単行本の中に収まった。
「光文社版 鉄腕アトム 第二巻」の表紙に納まるのだった。

 アトムのマンガを読み聞かせている父親。
 幼いはじめは、父親の膝の上にチョコンと座り、目をアトムのマンガにはしらせる。
 まだ家庭が落ち着いている頃、はじめの父はよく手塚治虫の単行本を買っては、読み聞かせをしてくれた。
 その一冊が「光文社版 鉄腕アトム 第二巻」だった。
 幼いはじめはアトムの脚を見ると体がうずいてくるのだった。
「パパ! アトムってかわいいね!?
脚がすごくかわいいね!!!」

 そう、声を掛けるはじめに、父親は、
「そうかあ? 脚だけじゃないだろう? 全部かわいいだろう?」
 と、答えた。
「ねえ、パパ、アトムは女の子だよね?」
「そうかなあ? 男の子だよ!
どうしてお前は女の子に見えるんだい?」
「だって、脚がかわいいんだもん……」
「フ〜ン……」

 そうだ!、と言って、父ははじめをどかして、画用紙とクレヨンを持ってきた。
「はじめにアトムを描いてやるよ」
 そう言うと、ちゃぶ台の上をきれいに片付けて、アトムの単行本を置き、画用紙に鉛筆で下絵を描いていった。
 じっと、画用紙に目を凝らすはじめ。
絵を描く父。
 クレヨンは肌色から塗っていった。
ときどき、赤や茶色を肌色に重ねて塗り、それを指で延ばしていく。
 肌に立体感が出てくる。
 夢中になって見ているはじめだった。
「ホラ、完成だ」
 父親は画用紙を両手でつかんで、はじめに渡した。
 単行本の表紙を大きくしたアトムの絵が完成した。
 
 はじめは感動して、父親の描いたアトムと単行本の絵を見比べた。
「アトムだ! 第2巻のアトムだ!!」
 大喜びのはじめだった。
「男のアトムだ!」
 はじめが言った。
「なんだって?」
「パパの描いたアトムの脚は男のアトムだよ」

 いつの間にか眠ってしまった井上だった。
 気が付くと、井上には見慣れない風景だった。
電車は山形駅を出ていた。

 また一面田んぼが見えてきた。
 山と田んぼの中から鉄腕アトムが空に向かって飛んで行く。
「あのアトムは男だな……」
 ポツンと井上が言った。



(2008年 7月 7日 月曜 記
 2008年 7月13日 日曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)

熱い夏の日・第一部

山形マンガ少年東京騒動記第6回  

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