米沢漫画研究会の会員募集を「COM 」に掲載してもらう。
すると、あっという間に全国に会員が増えた。
たかはしらも応援して会員になってくれた。
たかはしのお陰で、どんどん同人仲間の交流が盛んになっていった。
その結果、「米沢漫画研究会」は、山形県下を支配する最高のマンガ同人会の連合組織「山形漫画予備軍」との共催で、八月に『第二回山形まんが展』行うことになった。
同人の原画を展示するのでは、なかなか人は来ない。
そこで、プロマンガ家の原画を同時に展示することを編み出したのは、酒田のマンガ同人会のボス的存在の「漫画研究会 桐一葉(きりひとは)」の村上彰司だった。
プロといっても、ビッグなマンガ家を揃えなければ、片田舎の山形では通用しないと、
この協力をマンガの神様 手塚治虫が主催する虫プロ商事「COM編集部」、アニメ会社「虫プロダクション」、そして「東映動画」へと頼みに行く旅であった。
第一回山形まんが展は村上が酒田市のデパートを会場にこの三月に開催した。
そのときにも虫プロ商事「COM編集部」が協力をして、プロのマンガ家の原画を展示してくれた。
その実績があるので、村上は第二回の開催を目論んだ。
村上はその「第二回山形まんが展」の実績をもって「COM編集部」に対してあることを認めさせようと考えていた。
そのことはいまの井上には知る由もないことだった。
駅の構内のスピーカーからは案内の声が響いた。
「急行千秋一号 もがみ号〜まもなく到着です〜」
急行券を持った井上の手は震えていた。
「じゃあ……気をつけて……」
先輩の近藤重雄と小山絹代が手を挙げて井上に言った。
その言葉は、井上の心の中に大きく響きわたる。
さびしさと不安が心に広がるのを感じた。
先輩たちに別れを告げた井上は、一人車中の人となる。
グーンゴットンゴットン……
電車は動き出した。
まんが家は常に孤独……
ゴットンゴットン
まんが家は常に孤独……
彼、井上は、そう自分に言い聞かせた。
長く大きい柱時計の窓を開け、見るからに不安定な踏み台に上がって、大柄で太った頭の薄い老人が時計のネジを巻く。
「ギーッ、ギーッ、ギーッ……」
ネジを巻く老人は、ダボシャツにそのまま折り返しのある厚めのズボンをサスペンダーで吊っていた。
頭と額が一体となり、そこには玉のような汗がたくさん光っていた。
その汗が静かに流れて、老人の目に入った。
「ワーッ」
と、いう叫びと共に、老人は踏み台から転げ落ちた。
「ドーン!」
畳敷きの茶の間に大きな振動が走った。
老人は仰向けに大の字になった。
「じっさま(爺様)!なにしてんなよ!?」
奥の台所から駆けつけた井上ふみが老人に叫んだ。
老人はびっくりして飛び起きた。すぐにチョコンと胡坐をかいた。
そして……
「見ればわがっぺ(わかるだろう)。
時計にネジを巻いてた……」
と、顔をうつむきながら言った。
柱時計の窓は開けっぱなしになっている。
それをふみが見ながら、
「じっさま、余計なこど、すっこど(すること)ない!
時計のネジははじめの仕事だべ!?」
仁王立ちになってふみは老人に言った。
「だって、はじめくんがいない……。
酒田に行っていない」
と、淋しく言って、上半身をうなだれた。
「なにいんってんなや。
はじめはもう高校二年だぞ。
子どもでないんだから心配すんな!」
笑いながらふみが言うと、
「お前は薄情者だ。
たったひとりの孫、いや息子に何かあったらどうするんだ!?」
と、大きな声で老人は言った。
「何がって、何よぉ?」
ふみは呆れた顔で訊きかえした。
「はじめはな!帝王切開で生まれ、しかもへその緒が首に巻かれて仮死状態だった。
からだが弱くって、いまだに扁桃腺もちだ。
しかも、母親のケサ子とは三歳と十カ月で死別した。
父親ともその後生き別れだ。
オレたち、祖父母が元気だからここまでやってこれた。
そのはじめに何かあったら、ばさま(婆様)はどう責任をとるんだ!?」
老人は一気にそう言って、ふみをにらみつけた。
「じっさま?誰に責任をとるのや?」
ふみが訊いた。
老人は、
「オレにだ!!」
と、胸を張って答えた。
「まったく、話になんね。
じっさまは自分のことしか考えていないんだから」
ますます呆れたふみだった。
老人の名は、井上長吉。六十五歳。
はじめの祖父で、ふみの夫だった。
(2008年 5月 3日 土曜 記
2008年 6月 5日 木曜 記
2008年 6月16日 月曜 記
2008年 6月21日 土曜 記)
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