井上の一人だけでの、二日間の旅は初めてだった。
それだけで井上は興奮していた。
「酒田はずいぶん遠いなあ」
酒田に行くのは、この年の三月以来になるが、あの時も酒田を遠く感じた。
井上の住む米沢とは同じ山形県だが、酒田は日本海側であり、米沢のように福島市と山形市に挟まれた県南の盆地からすれば未知のようなところだ。
それだけに不安は募る。
出発まであと二十分はあるだろうか、井上はじめはふらりと駅の外に出た。
「井上クン……」
少女の呼ぶ声にふと後ろを向くと、そこには見慣れたふたりが立っていた。
「おはよう!
何時の電車で?」
ひとりの少女がたずねる。
「おい、電車を乗り継いで四時間近くもかかって酒田に行くのはたいへんだなあ!?」
天然パーマを七三に分けた色黒の少年が井上に声をかけた。
「あっ、小山さんに近藤先輩!?
わざわざ見送りにきてくれたんだあ?
電車は八時です」
少女と少年は高校三年で共に井上の先輩だった。
少女は小山絹代といい、少年は近藤重雄という。
みな生徒会役員の仲間だった。
近藤は副会長で、小山は会計担当、井上は企画担当だった。
三人はいつも行動を一緒にしていた。
「井上クン、手塚治虫先生に会うなんてすごいわね」
ショートカットで夏服の小山はニコニコして言った。
「会えっか、どうかはまだわがんないがら」
井上は照れながらボソッと言った。
「会えるといいんなあ!」
凛々しい近藤重雄は笑顔で言った。
「うん……まんが展に展示する原稿を借りにいくんだから、手塚先生に会えっかどうか……?」
井上は肩のザックを押し上げながら言った。
「重そうなザックだね」
小山が聞いた。
「ばあちゃんが作った梅酒が入っているんだ。
手塚治虫先生へのおみやげだ」
井上が恥ずかしそうにザックの中身を言った。
「おもしろいね……ばあちゃん!」
と、小山がクスクスと笑った。
ますます恥ずかしそうに顔を赤くする井上だった。
「井上、東京に行くのにどうして酒田経由でいくんだ?」
近藤が訊いた。
「そうだよ、どうしてなの?」
小山も訊いた。
「マンガ同人会の先輩が酒田に居て、そこにオレと山形の先輩が合流することになっているんだ。
そして、夜汽車で酒田から東京に向かうんだ」
井上がそう答えた。
井上はマンガが大好きだった。
物心ついたときにはマンガを描いていた。
その井上が見よう見まねでマンガ同人会を旗揚げをしたのが昨年の十月だった。
井上はまだ高校一年生だった。
「米沢漫画研究会」という名称だった。
マンガの神様 手塚治虫の出版会社「虫プロ商事」が「COM 」(こむ)というマンガ専門誌を発行していた。
その「COM 」はマンガ家を目指す者たちの登竜門であり、その予備軍には「マンガ同人会」が組織されてあった。
井上も例外なく、その「COM 」に出会い、「マンガ同人会」を知る。
酒田や山形を中心とした数々のマンガ同人会があることを知り、彼はその中から山形県中山町長崎の「たかはしよしひで」らが組織する「山形漫画研究会」を選んで、その会員となった。
井上が自分でも同人会ができるのではないかと「錯覚」をしたのは、「山形漫画研究会」に入り、「ポップ」という機関誌と「ステップ」というマンガ作品を綴った肉筆回覧の同人誌に触れ合うことからだった。
井上は自分で「米沢漫画研究会」を結成してからも、「山形漫画研究会」に所属していた。
たかはしの同人会の運営や同人誌の内容はレベルが高く、どうあがいても井上はたかはしらには敵わない。
井上はたかはしを尊敬し「山形漫画研究会」を目標にしていたからだ。
(2008年 5月 3日 土曜 記
- 2008年 6月 5日 木曜 記)
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