38井上宅にて-2



石井と祖父母が懇談をしてから三十分も経っていなかったが、三人は意気投合して話が盛り上がっていた。
ふみが言った。
「石井さん。
 ちょっと変なことを訊くようですが、
 いいべがね(いいでしょうかね)」
石井が訊き返した。
「何ですか?
 おばあちゃん」
するともじもじしているふみだった。
見かねた長吉は、イライラして口を出した。
「ばさま(婆様)
 そこまで言ったんなら最後まではっきり言え!」
ふみが照れながら言った。
「あのぅ……
 先日、はじめが手塚治虫先生に会いに行ったときに、
 私の作った梅酒を預けたんです。
 サントリーレッドの空瓶に入れてやったんだ」

井上が、
「ばあちゃん、間違いなく渡したからね」
安心するようにと想いを込めて言った。
「天下の手塚治虫は、そがな物は飲まねぇ」
長吉は恥ずかしいこと訊くなと言わんばりに言った。
石井はニコニコ微笑みながら、
「きっと頂いていることでしょう。
 夏バテ防止に丁度いいでしょうからね」

ふみを気遣いながら言った。
「たかはしセンセイが、梅酒を持って行くとは伝説になるって言ってた」
井上が言うと、石井がそうだねと言って笑った。
ふみは安心したように安堵の表情を浮かべた。
ビールは三本目になっていた。
石井はお腹が空いていたのか、鯉料理をきれいに平らげた。
「編集長は、皮も残さず食べたとは鯉の食べ方をご存知ですな」
長吉は、ますます石井を気に入ったようだ。
さらにビールを勧めた。
「ところで編集長!
 オレも質問してもいいが?」

と、長吉が言った。
石井はまた微笑みながら、どうぞどうぞと言った。
「あのな、手塚治虫先生はハゲか?」
石井は飲みかけのビールを噴出した。
「藪から棒に何を言うんだべが!?」
と、ふみは呆れた顔で言いながら、おしぼりで石井のワイシャツとズボンを拭いた。
「だってよぉ、
 はじめくんが夢で見たと言いったべ?」
長吉はムキになって言った。
井上が夢の話をした。
「上京前に夢で見たんです。
 ボクが手塚先生と会って、先生はベレー帽をとって挨拶をしてくれたんです。
 そしたらおでこがズーと頭まであって……」

石井は、
「確かにおでこは広いですよ。
 手塚のお父さんは頭が薄いんです。
 遺伝で近い将来は井上くんの夢のとおりになるのかもしれないね」

そう言うと、みんなで笑った。
「ところで編集長。
 よろしかったら今晩泊ってくだい」

と、長吉が誘った。
「そうだった。
 今日は泊まるんだった。
 おじいさん、ありがとうございます。
 でも、ボクは、ほら、(原稿用紙の入った虫マークの封筒を見せ)原稿を書かなければならないので、どこか旅館を紹介してもらえますか?」

と、石井が言うと、
「残念だなあ……
 仕事では引き止められないべしな。
 そうだ、小野川温泉の小野川ホテルだどいいべ。
 はじめくんの母親が婿を迎えた所だ」

長吉は立ち上がり、茶の間にある電話で予約を入れた。
「大事な客人だ。
 持て成しを忘れるな。
 食事?そうだなあ、準備をしてくれ。
 ただし残しても文句は言うな。
 残したらお前ん所なが、美味ぐねえがらだと思って精進しろ。
 女将、いつも勝手言って悪いな……」

長吉の電話のやりとりを石井は黙って聞いていた。
口は悪いが心が温まる電話だと思った。
石井は井上と会ったのは二度目だった。
井上はまだ十六歳で、ぐらこん支部長としては最年少だった。
それに、同人活動経験もまだ一年にもなっていない。
作品を見たがマンガもこれといって上手でもなかった。
しかし、今回のまんが展を見事に成功させた。
聞くところによると、彼の高校の生徒会や美術部、教師たちもこぞって応援をしたという。
いったいこの子は何が取り得なのだろう……と考えた。

石井なりに質問をしてみた。
好きなマンガ家は、手塚治虫、石森章太郎、永島慎二、水島新司という。
特に石森の「ジュン」が好きだという。
石井は後で豪華本「ジュン」を贈る約束をした。
マンガ家になりたいの?
と訊けば、そんなことは考えたことはないという。
マンガを描くのが好きなだけだという。
欲もなければ特別な夢もなさそうである。
おまけに、
「手塚治虫先生の色紙が届いていない」
などとまったくミーハーなことを言い出す始末だ。
手塚さんにちゃんと送るように言うからと答えたが、この子の取り得は一体何なんだろう。
石井はますます井上に関心を持つのだった。

(2006年 8月16日 水曜)



(文中の敬称を略させていただきました)
旅立ちの歌第38回

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