- 時計は午後四時を指していた。
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「会場を閉鎖しま〜す。みなさん〜ありがとう〜ございました〜」
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鈴木和博の声がまんが展の会場に響いた。
その瞬間に一斉に拍手が起きた。
その拍手はどんどん大きくなり、長い拍手が鳴り響いた。
石井文男は拍手を傍に立っていた村上彰司に向けた。
みんなは村上に向って拍手をした。
村上は井上はじめに握手を求めた。
拍手は井上に向けられた。
井上はたかはしよしひでに拍手を向けた。
たかはしは戸津恵子や小山絹代たちの米沢中央高校生徒会のみんなに拍手を向けた。
拍手はいつまでも鳴り響いた。
その音は三階会場から二階や一階や外へと流れていった。
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この充実感はなんだろう。
鈴木の笑顔、宮崎賢治の笑顔が「ヤッタ〜」と言わんばかりであった。
近藤重雄や田中富行らも汗に光った顔でニコニコしていた。
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鈴木は村上に、
「展示室の片付けをしている間に、近くの喫茶店で石井さんたちと交流をしてください」
と、言った。
「それじゃあ、市外の者はお言葉に甘えさせてもらおう」
そう言って、石井と村上ら酒田勢とたかはしよひしで、かんのまさひこ、今田雄二、それに長井の青木文男らは会場を後にした。
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展示物の後片付けは、米沢漫画研究会と米沢中央高校生徒会の役員、美術部部長らによって行われた。
連日の暑さにほとほと参っていたが、みんなは最後の力を振り絞るようにして、原画を片付け、重いポールや展示パネルを二階へ移動させた。
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井上の祖父長吉がやってきた。
長吉もはげた頭から顔にかけて汗を流しながら、井上たちの片付けを見守っていた。
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「はじめくん!」
と、長吉は孫の井上を呼び止めた。
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「手塚先生の若い衆がきてるんだべ」
「編集長の石井文男さんだ」
「その編集長に帰りに家さまわってもらえ。
六十里(鯉店)からばさま(婆様)にいわれて、あらい(鯉の刺身)と甘煮(鯉のうまに=甘露煮)を買ってきたがら。
なんだったら泊まってもらってもいいぞ」
「おじいちゃん、ありがとう。
連れていくがら」
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そうこうしているうちに、長髪に髭を伸ばしたの中年男が井上に声を掛けた。
「あの、恐れ入りますが、手塚治虫さんたちの原画を見せていただけますか?」
井上は傍にいた美術部の部長の田中富行の顔を見た。
田中は軽く頷いた。
その頷きは「ちょっとだけなら見せてもいいのではないか」という合図だった。
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「片付けが始まっているので短時間にしてください」
と、田中はその男にぶっきら棒に言った。
「画家のサガエタツハルと言います。
きみの名は?」
と、井上と田中に訊ねた。
「ぐらこん山形支部長の井上はじめです」
「中央高校美術部部長の田中富行です」
このとき、井上は初めて自分を「ぐらこん山形支部長」と名乗った。
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井上は、いったん風呂敷に包んだプロのマンガ家の原画二百五十枚を取り出した。
サガエという画家は恐縮しながら原画に近付き、両手を合わせて拝んだ。
井上と田中をその傍で見守った。
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サガエは、一枚いちまい丁寧に右上から左へと目を移していった。
その目は井上らに異様な感じを与えた。
サガエは特に手塚治虫の「火の鳥」を時間を掛けて鑑賞をした。
ときには目を原画に近付ける、離すを繰り返した。
「このデッサン力はすばらしいですね!」
と、言った。
他の石森章太郎たちの原画も見たが、
「やはり描く力は手塚治虫先生には敵わない」
と、言うのだった。
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長吉はそのやり取りを遠回しに見ていたが、周囲が片付いていくところを見て、
「はじめくん、もういい加減にして片付けなさい」
と、大きな声で言った。
「ハイ」
と、井上は言い、原画をサガエから取り上げた。
そんなこともお構いなしにサガエは手塚治虫の絵について力を込めて解説していた。
傍では田中がサガエの話を聞いて対応していた。
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田中富行は後に画家サガエタツハルに師事することになる。
このときは当事者も誰もそんなことは想像もしなかった。
- (2006年 8月16日 水曜 記)
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