- 午後三時近くになると、空の曇りはますます黒くなった。
会場も暗くなり蛍光灯を点けるほどだった。
冷房のない会場では、曇り空に併せて気温と湿度が上がっていく。
満員の会場は蒸し風呂状態になっていた。
- その暑さと湿度のために、展示原画を覆っている透明のビニールやセロハンが、次々とはがれ出した。
- 鈴木和博の指示で、たかはしと青木、宮崎がもう一度ガムテープを屈指して張り直した。
しかし、暑さと湿度にはかなわない。
あちこちで何回もビニールがはがれるのだった。
「ちくしょう!」
鈴木が嘆いた瞬間だった。
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- バリバリバリーッ
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- という音と共に窓から大きな光が飛び込んで来た。
そして、次の瞬間、
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ドーッ
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という爆音が会場を襲った。
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- 雷だった。
それが合図になったように大雨が降りそそいできた。
「バカヤローッ」
鈴木が叫んだが、大粒の雨の音にその声は消された。
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- 雨と雷は三十分位で止んだ。
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ムンムンしていた展示場が少しだけすごし易くなった。
雨が降ったお陰で湿度が低くなったようだ。
雨が止んだ機会をみて、今まで居た鑑賞者は一斉に帰り、また、新たな鑑賞者が入場してきた。
夕方になっても人波が途絶えることはなかった。
- ■
- 「女子高のあんどうえつこ?さんがおみえですよ」
受付の戸津恵子が、会場の井上に声を掛けた。
- さっそく、受付に行く。
真っ黒い髪を後ろに束ね、小麦色した肌の少女の顔が目に飛び込んできた。
その少女は体格はヒョロヒョロして、痩ている戸津恵子よりも、さらに痩せて見えた。
小麦色の肌が健康を現し、白いブラウスをいっそう白く見せていた。
- 「あの、中山先輩にお願いして米沢漫画研究会に入会した安藤悦子です」
と、言ってピョコンと頭を下げた。
ハスキーな低い声だった。
「井上はじめです。
すばらしい作品だと感心していました。
さあ、安藤さんの作品も中に展示してあるから見て下さい」
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- 安藤の作品は展示会場の後ろの方だった。
案内すると安藤は自分の作品を大きく目を開いて見た。
井上は、村上彰司やたかはしよしひで、かんのまさひこ、青木文雄らを呼んで安藤を紹介した。
みんなは彼女の描くマンガから想像して、もっと少女っぽく、ぽっちゃりした小さい娘を想像していた。
それだけに安藤の人物像は意外だった。
井上とたかはしが安藤を案内した。
安藤は一枚一枚、プロのマンガ家の原稿を瞬きもしないで見ている。
そして質問をしてくるのだが、その質問は理屈っぽく井上やたかはしではなかなか的確に答えることができなかった。
見かねた青木文雄が代わって質問に答えるのだった。
「安藤悦子って、マンガを描くより小説でも書いているようなタイプだなあ」
と、井上はポツンと言った。
その言葉が村上に聞えた。
村上は、
「酒田なんか会員は女の子が多いから大変だよ。
いつもむずかしいことばかり話している」
と、言った。
「オレは理屈は苦手なんで……」
と、井上は言った。
- いつの間にか会場には井上の祖父長吉がきていた。
「はじめくん。
立派な展覧会になっていがった(よかった)なあ。
人もいっぱい入っているし、先ずは成功だな。
みんなさ感謝しろよ」
うん、とだけ井上は言った。
いつも無口であまり話さない長吉だった。
しかし、長吉自身も昔は興行も手掛けていたので、プロからみれば孫たちの企画は無謀にさえ見えたのかもしれない。
祖父は村上やたかはしら、一人ひとりに労いの言葉と感謝を述べていた。
井上は遠くからその姿を黙って見ていた。
大柄で猫背の祖父が小さくなって見えた。
- 井上は祖父からの
「みんなさ感謝しろよ」
という言葉がいつまでも心に残った。
- (2006年 3月23日 木曜 記
- 2006年 7月31日 月曜 記)
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