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7月9日になると、中山町長崎のたかはしよしひでから電話が毎晩掛かってくるようになった。
「第二回山形まんが展」の段取りと進捗(しんちょく)状況の確認であった。

「今日は会場の文化会館の正面に備え付ける看板をみんなで作りました。
 鈴木和博くんの家業が建具店なので、ベニヤ板とサンワリ(角材)で看板の枠を作ってもらい、色紙を貼りました。
 乾いたら大きく『山形まんが展』って文字をゴシック体で書きますから」


井上の報告に対して、たかはしは、
「原画を張り出す大判用紙に原画の四隅を入れていく作業はどうする?」
と準備を心配をして訊いた。
「生徒会の有志と美術部のみんなが手伝ってくれます。
 先ずは四隅を切るだけにして、原画は会場入りしてからにします」
「了解、了解……
 それで私とかんのセンセイら数人で19日の日曜日にそちらに応援に行くので、それらの作業はその日にまとめてしましょう」

たかはしの電話が終ると、今度は酒田の村上彰司から電話がきた。
「ああ、井上クン?
 村上です。
 どう、元気でやってる?
 フンフン……。
 ところでな、会場申し込みを正式にしてくれなあ、そして担当者の名前をきちんと訊いとくこと、いいね。 
 それと地元のマスコミ関係に案内状を持って、そうそう、たかはしくんが作ってくれたあの画用紙刷りの案内状なあ……」

井上はそれをメモして、明日対応することを述べた。

山形マンガ界の二大巨頭からの指示や確認には、井上も緊張を隠せない。
祖父の長吉は電話のある茶の間でそっと声を潜めて様子を見守っていた。
電話が終ると井上はお茶を飲んだ。
頃合いを見て、長吉は孫の井上はじめに声を掛けた。
「はじめ、まんが展の準備は着々とすすんでいるか?」
「うん、何とかかんとかだけどね」
「何か困ったことはないか?」
「いまのところは何が困っているのかもわかんねぇ」
「……」

沈黙の時間が続いた。
ふたりは黙ってお茶をすすった。

翌日になると鈴木らが準備を任せて、井上は教育委員会に出掛けた。
教育委員会は「まんが展」会場予定の米沢市文化会館の北側にあった。
受付の窓口に行くと二人の男性職員が現れた。 
「おお、山形まんが展だったね。
 おもしろい企画だね」

と髪を七三に分けた目がちょっときつそうな方が言った。
「米沢漫画研究会?
 おもしゃ(面白)そうだな、オレんどごもはめねが?(私も仲間に入れないか)」

と背の低い目がキョロッとした方が言った。
「遊びじゃないんです」
と井上がまじめに答えた。
すると背の低い男は笑いながら
「わり〜い、わり〜い(悪い)なあ、そんなつもりで言ったんじゃねえがら、気にすんな(するな)。
 教育委員会には社会教育課もあって、青年団や文化活動をしている団体を支援しているから、本当に興味があったから訊いたんだから」

と愛嬌のある顔で言った。
「すいません」
と井上が言う。 

書類を渡されて、そこに記入すると会場費用の金額がはじきだされた。
支払いを終えると、また二人は井上に質問をしてきた。
「どんなマンガを展示するの?」
「プロとアマチュアのまんがです」
「プロって誰の?」
「手塚治虫先生、赤塚不二夫先生らの原画を250枚ほどです」
「て、てづか、手塚治虫センセイの原画だって、ヒ〜ッ」
「キミたち凄いことするんだね」
「オレたちも観に行くからな。
 頑張れよ」
「あの、この会場の担当の方はどなたですか」
「オレは山口っていう、山口 昭だ。
 みんな山ちゃんって呼ぶ。
 よろしくな、はじめちゃん!」
「どうして僕の名前を知っているんですか?」
「だって、この申込書に書いてあるだろう」
「私は鈴木って言います。
 よろしく」
「オレたち二人が担当だ。
 何かわかんないことがあったら言いな」

山ちゃんこと山口は親しげにそう言った。
「いい人たちだな」
井上は二人に安心感を持った。

(2006年5月6日 土曜 記)



(文中の敬称を略させていただきました)
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