井上はじめが手塚治虫先生へ行ったと知っているのは、級友の中でも宮崎賢治と鈴木和博だけだった。
二人とも美術部で、井上と一緒に米沢漫画研究会を立ち上げたメンバーだった。
「おい、井上っ、どうだった?」
授業と授業の合間の休み時間に宮崎は訊いてきた。
傍には隣のクラスだった鈴木和博も来ていた。
「うん、手塚先生と会ってきた。
 そして原画はざっと二百五十枚、原稿料にして二百五十万円相当だって。
 手塚先生の火の鳥、しかも鳳凰編だぞ」
「ゴクン!」

宮崎と鈴木は生唾を飲み込んだ。
そして二人はこう言った。
「すごいことになったぞ。
 どうしよう。
 いよいよ引っ込みがつかないなあ」
「……やるしかない!」

放課後になった。
井上は部活や生徒会にも顔を出さないで帰ろうとした。
生徒昇降口に行くと後ろからやさしい声が掛かった。
「井上くん、お帰りなさい」
それは井上よりも一学年先輩で三年生の小山絹代だった。

「絹代さん、先日は見送りをお笑止な(ありがとう)!」
「無事帰って来てよかったね」

小山は階段の手すりに背中を預けてそう言った。
小山は井上が一昨日に酒田に向かう時に、米沢駅までわざわざ見送りに来てくれたのだった。

彼女は井上と一緒に生徒会役員をしていた。
井上が一年生の秋から生徒会役員になると、小山は井上たち一年生の面倒をよくみてくれた。
一人っ子の井上は小山を姉のように慕っていた。
まんが展のことは生徒会役員たちには話してあり、協力することを当然のように生徒会長はじめ役員たちは井上たちを応援していた。
特に副会長の近藤重雄と会計担当の小山絹代は積極的に井上をバックアップしていた。

「井上くん、原画は借りてきた?手塚先生には会ってきたの?」
と弟に訊ねるように小山は言うのであった。

井上と小山たちは生徒会室に行った。
立ち話では話が尽きないからである。
生徒会室には近藤もいた。
そして米沢漫画研究会の会員で三年生の新聞部戸津恵子もいた。

「井上、お前、本当に手塚治虫と会ったのか?」
副会長の近藤重雄が訊いた。
「井上くん、手塚先生ってやさしかった?」
細い体の戸津恵子が上品な話し方で訊いた。
戸津は訛りがまったくなく標準語であった。
そしていちいち身振り手振り手答える井上だった。
興奮してか井上の話は少しオーバーにも聞えてるが、それはすべてが一昨日から今朝までの出来事であった。
近藤は井上に自分ができる限りのことをするから遠慮しないで仕事を依頼するように言った。
戸津も漫画研究会の会員だが、新聞部として力になれることや、部としても協力を惜しまないから何でも言うように励ましてくれた。

小山は腕を組み、黙ってそのやり取りを聞いて微笑んでいた。

井上が夕方に家に帰ると、鈴木和博から電話がきた。
原画を見たいという。
井上は夕食前ならと言うと、鈴木は自転車で五分ぐらいで行くからと言って電話を切った。
「感動だなあ。さすがにプロは違うなあ」
と鈴木は言った。
鈴木の見ているマンガの原画は手塚治虫先生の「火の鳥・鳳凰編」だった。
鈴木は原画を持った手を伸ばし、頭を遠く後ろにのけぞうるようにして、目を細めて観察していた。
「このネーム(セリフ)の文字が写植っていうんだろう、そして鉛筆で書かれた文字が手塚先生の文字なんだ」
と独り言を言いながら自分でその言葉を「事実」として噛締めているようだった。

「おい、はじめ。
 おれたちはすごいことをしているんだ。
 どうしよう。
 いよいよ引っ込みがつかないなあ」

今朝、学校で言ったセリフをまた言うのだった。
「……やるしかない!」
と井上が返した。
それは、今朝、鈴木と宮崎が言ったセリフだった。
「そうだな、成功させよう!!」
と鈴木は言って井上に握手を求めた。
それは熱い熱い握手だった。

(2006年4月4日 火曜 記)


(文中の敬称を略させていただきました)
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