プロデューサーサイドからひとこと

元 読売広告社映像企画部プロデューサー 位 下 博 一


私、当番組のスーパーバイザーをやっておりました、読売広告社の位下と申します。
因みに、「簡易特撮」と名づけたのは私でございます。
スポンサーのバンダイさんにプレゼンに行った際、何かキャッチフレーズをつけなければ、と考えた挙句にでた半分口からでまかせのような言葉でした。

でも、この口からでまかせを最高の作品に仕上げてくれたのが、水谷監督でした。
水谷しゅんという傑出した人物がいなければ、始まらなかったし、また、今見ても大変高いクオリティの映像は生まれませんでした。(自画自賛)

本当に監督には、大変な苦労をかけました。
(脚本の増田氏には、恐怖のダメ出し男と思われていたかもしれません)

トレマ、ミサト、ランデス、ナオのオーディションも、実に長時間に渡り、(実はナオは当初予定になかった)監督、円谷映像さん、東宝さんとも侃々諤々の議論を戦わせたこともありました。

トレマの大桑マユミを選ぶときに、今では超メジャーとなった安西ひろこと最後まで争いました。
安西くんは今のようなギンギンさはなかったものの、当時からフェロモンを発散させており、(セーラー服を着ていてもあのナイスバディは目立ったものです。)「この子はスターになるな」という予感はありました。
そして、非常に勘どころが良く明るいキャラが魅力的でした。

しかし、子供番組という点と、撮影現場が飢えた野獣の集まりのような点で、彼女が主役となったらとても仕事どころではなくなるのではないかという危険信号を感じ、最終的に大桑くんに決定しました。
大桑くんの素直な明るさはトレマそのものであったと思います。
(結構あとで後悔してたりして)

でも、僕がウルトラでできなかったことをすべてこの番組にぶつけることができて、最高に楽しめた作品です。
(実は、アフレコスタジオがウルトラマンティガ・ダイナと同じで、スタッフからは、「ウルトラの時とまったく表情が違う」と揶揄されたこともありましたが)

今では映像制作から離れてしまいましたが、このような作品が再び作られるような時代が来ることを願っています。
応援よろしくお願いいたします。



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