部・第回「マンガには愛がなければ」……真崎守と会う



 それは一九七〇年の七月のことだった。
 午後の日差しは眩しく、畑の中の静かな住宅地を照らしていた。
ミンミンと蝉が鳴き、東京といってもまだまだ田舎と変わらない風景だった。
 その中を四人は歩いていた。
 四人は木造二階建ての家の前に着いた。
「いいかい、言葉使いには十分注意をするように。
けっして感情を害するようなことを質問したり意見をしないように。
くれぐれも頼むよ」

 背のそんなに高くない大塚豊は三人の少年たちに言った。
「そうなんだ。ちょっとだけ気難しい先生だからね。
作品については批判めいたことは言わない方がいい。
あくまでも『ぐら・こん』のこと、そう、マンガ同人会についてお話をしよう」

 四人の中では背の高い、メガネを掛けた髪が天然パーマの村上彰司が言った。
 四人はぐらこん山形支部支部長の井上はじめ、同支部米沢地区宮崎賢治。
 二人は共に山形県米沢市の高校三年生。
 白いワイシャツと黒いズボンの学生服を着ていた。
 山形の田舎から出てきたと一発でわかる格好だった。
 村上彰司は20歳。三重県四日市市から来ていたが、一年前までは山形県酒田市に住んでいた。ぐらこん山形支部を作った張本人だ。
 大塚豊は、ぐらこん本部の事務局で、『COM』(こむ)というマンガ専門誌の編集者だ。
 『COM』は人気マンガ家手塚治虫が社長を務める虫プロ商亊から発行され、新人マンガ家の発掘やマンガ同人会を推進していた。
 その組織を『グランドコンパニオン』といい、略称『ぐら・こん』と呼んでいた。

 大塚は覚悟を決めて玄関に入った。
「ごめんくださ〜い」
「は〜い」

 奥から若い女性の声で返事があった。
 そして現れる。
 紺のTシャツにベージュのホットパンツ姿の二十五、六歳のきれいな女性だった。
「やあ、こんにちは。
先生と約束していました」

 大塚は親しく話をした。
 女性は四人を玄関の右側応接室に案内をした。
 けっして広くない応接室の椅子に四人は並んで座った。
「あの人が先生の奥さんだよ」
 村上が井上と宮崎にそっと教えた。
「きれいな人だ」
 と、井上は思った。
「いいか、キミたち!お願いだから無駄話をしないように」
 神経質そうに大塚が言う。
 うなずく村上だった。
「どうしたんですか?」
 宮崎が二人に訊いた。
 大塚が答えようとすると……。
「やあ……お待たせ」
 と、男が入って来た。
 大塚は椅子から立ち上がり、
「真崎センセイ〜ッ。
お忙しい中をありがとうございます」

 と、大声で最敬礼で頭を深々と下げ挨拶をした。
「おい、キミたち?
挨拶をしなさい。
真崎守(まさき・もり)センセイです?」

 三人も立った。
「この人が真崎守先生か」
 井上は挨拶も忘れて、目の前に現れた男をジッと見つめた。
 男は三十過ぎに見えた。
 痩せていて、長髪、特に前髪が長く伸びていた。
「真崎先生、講談社出版文化賞おめでとうございます」
 村上がハンカチで汗を拭いながら言った。
「ああ……」
 真崎はそれだけ言った。
「キミたち。真崎センセイはお忙しいから、用件は手短にお話しよう」
 大塚は真崎に必要以上に気を遣っているようだ。
「あの、これ山形名物の『おしどりミルクケーキ』っていいます。
食べてください」

 井上は紙袋からお菓子の箱を出し、真崎の方へそっと差し出した。
「ありがと……」
 真崎は、それだけを言う。
 井上はお菓子を手前の応接机にそっと置いた。
 サングラス越しの真崎の目はどこを見ているのだろうか。
 井上たちにはわからなかった。
「真崎先生、ボクはぐらこん山形支部の支部長の井上、井上はじめです。
ボクたちぐらこん山形支部は結成して一年になろうとしています。
先生は昨年、ボクたちの顧問になってくださいました。
しかし、この間、何の連絡もいただけなかったので、今日はこれからのことでご相談に来たところです」

 と、井上が用件を述べた。
「……ああ、そうだ、そうですね。
塚ちゃん(大塚豊)から話は聞いています」
「村上彰司です。
ワタシは一年前にぐらこん山形支部が結成された時に、『COM』の石井文男編集長とこのお宅にお邪魔をさせていただき、真崎先生からぐらこん山形支部の顧問をお引受けいただきました。
先生ご指導をお願いします」
「ご指導っていても、ボクは顧問でしょ?
しかも、峠あかねとしてぐらこんで批評も担当しているじゃない?
アナタがたの顧問は名義みたいなもんでしょ?
ボクのことより、ぐらこん山形の活動はどうなの?
マンガに向かう姿勢はどうなのさ?」

 井上らにとっては意外な言葉が発せられた。
「キミたちはぐらこんをどうしたいんだ?
マンガ同人会は何を目指しているんだ?
その辺がしっかり定まっているのかが大事だ?」

 宮崎は額からたれてくる汗も拭わないで、真崎の話を受けている。
 真崎の話は延々と続いていく。しかも一方的にであった。
 ぐらこん山形の三人にとっては、真崎の話はむずかしく、答えようもない。

「キミたちはマンガをどう思って描いているんだい?
マンガにとって一番必要なことは何だと思う?
テーマ?
そう、どんなテーマかな?」

 三人はただ黙っていた。
「それでは、キミたちは『園田光慶』の描くマンガをどう思う?」
「『あかつき戦闘隊』ですか?」

 と、井上が訊いた。
「そうです。あの人の描くマンガをどう思いますか?」
「あまり印象的ではないですが……」

 井上は正直に答えた。
「それだけですか?
残忍だとか、人間としてはどうなのかと思わなかったのですか?」

 真崎は井上を向いて言った。
 井上には真崎が質問している意味がわからなかった。
 『少年サンデー』に連載されていた『あかつき戦闘隊』は、井上はパラパラめくる程度だったからだ。
「集団の中の個人。指導性などの未熟さを特攻隊をテーマに描いていましたね」
 村上が言う。
「ならば、あのような特攻隊を舞台にしなくてもいいのではと思うのです。
特攻隊を描きたいのが彼の本音ではないでしょうかね」

 真崎は鋭い視点を見せた。
「戦闘機や攻撃、殺傷の場面を描きたいのが本音ではないのかなあ」
 そう言いながら、真崎はどんどん興奮していくのがわかった。
「マンガには愛がなければダメなんだ!
彼のマンガには愛がない!
キミたちはそう思わないか!?」

 口をはさむことさえできない状態になってきた。

 二時間半は経っただろうか。
 四人は真崎守の家を出た。
 しばらく黙って歩いていた。
「今日の真崎センセイは一段と荒れていたなあ」
 と、大塚が言った。
「昨年、お邪魔したときもずいぶん神経質で難しい方だなあとは思いましたがね」
 そう村上が続いて言った。
 井上と宮崎は呆然として歩く。
 あの『ジロがゆく』を描いている真崎守先生とは思えないと宮崎は言った。

 難しい話ばかりだった。
ほとんどの話の内容はわからなかった。
唯一つわかったことは、
「マンガには愛がなければダメなんだ!」
ということか。
 井上の頭の中では、いまも真崎守の声が響いていた。



(2010年 記)



(文中の敬称を略させていただきました)
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