最終回 青年は荒野をめざす



 井上らは顔を硬直させて七日町の商店街を後にした。
 すっかり日が落ちた。
「花笠祭り」を楽しもうとする市民や観光客たちが歩道を交差する。

 三人は黙って歩いた。
 ゆっくりとした足取りだった。
 それはマンガの神様 手塚治虫 と会った数時間を人生の貴重な時だったと思い、噛み締めて歩いているようだった。

「オレはこのまま手塚先生について行こうかなって思ったよ」
 鈴木が言った。
「あんなに親しく接してくれるなんて夢のようだったなあ」
 宮崎が言う。
 井上は無言で歩いていた。
 山形の街頭は人であふれていた。
 
 山形駅は観光客も混じってごったがえしていた。
 駅の待合室に入った。
 ゴーゴーッと数台の扇風機が回っていた。
「第二回 思い出のメロディ〜」
 テレビからの音声が聞こえる。


 東京目白のコム編集室に石井文男は荻原洋子といた。
 石井は電話をかけていた。
「あっ、野口ちゃんかい!?
ご苦労様だね。
暑いでしょう?
山形は暑いよね!?
トキワ荘物語は上がったかい?(原稿を描き上げたか)
えっ、まだ?
じゃあ、明日、野口ちゃんも大村ちゃんと一緒に秋田に行くんだね。」

 山形の旅館の事務所から電話をうけている野口は、
「今晩中にどのくらい原稿が仕上がるかですよ」
 と、答えた。
 石井は、
「あまい、甘いよ!
もう行くつもりでいてよ。
こちらは明後日までなんとか待つようにする。
野口ちゃんの言うことなら手塚先生も言うこと聞くでしょう。
早く描いてもらってください」

 旅館でトキワ荘物語を描く手塚治虫

「そろそろ花笠踊りを観にいきましょうか」
「先生!原稿を描かないと……」

 そう言って、手塚を抑えようとする大村だった。
「山形の熱い夏の日を体験しましょう!」
「手塚先生、暑いのはたくさんです」
「違いますよ。暑いじゃなくって熱い夏の日です!」
「……なにを言ってんだかわかんないあ、先生は!?」


 夜汽車から街の灯を眺める井上ら三人たち。
 ザックから手塚治虫からサインをもらったばかりの「ぼくはマンガ家」を取り出してサインを見つめた。
「熱い夏の日だった……」
 井上はひとり言を発した。

「暑いごどなあ! はじめクンはいつ帰ってくるんだ!!」
 井上の自宅の茶の間では祖父がイライラして祖母のふみに向かって言った。
「うるさいじさま(爺様)だごどなあ!!
夏だも暑いごで〜
(はじめは)帰ってくっから(くるから)心配すんなあ!
テレビさ、森進一が出てるがら聴かせでくだい」

 ふみは不機嫌になって言った。
 テレビでは思い出のメロディが続いていた。
 はじめは帰ってくるかなあ、と、ふみも少し不安になってきた。
 


 酒田の村上彰司は自宅の自分の部屋から夜空を眺めていた。
「よし、せっかくのチャンスだ。
石井さんにお世話になろう。
コムの編集者になるぞ!」

 村上は夜空に叫んだ。
 
「オラは描くぞ〜
どんどん描くぞ〜
山形の手塚治虫になるんだあ!!
いや、ちょっと理想が高いかな?
山形の石森章太郎になるんだ!!」

 たかはしよしひでが自宅二階の窓から夜空に叫んだ。
「よしひで〜っ
親不孝声をだして近所迷惑だベずう
いい加減にすろなあ〜」

 下から聞こえたのは母親の声だった。


 井上にとっては長い長い一日だった。
そして夢のような一日だった。
 マンガの神様手塚治虫先生との長い長いひと時だったから。
「あなたたちの熱い夏の日を忘れないでくださいね
また、会いましょう」

 手塚の声が井上の耳から離れない。
「手塚先生は本当にまた会ってくれるのだろうか」
 井上はもうひとつの言葉を思い出した。
「待っていますからね」
 この意味がわからない。
「ひょっとして……」

 夜の電車から見える遠い灯りを見つめ続ける三人だった。
電車からも灯りが長く続いて輝いていた。
それは熱い夏の日の銀河鉄道だった。






(2007年 3月24日 土曜 記
 2008年 4月 8日 火曜 記
 2008年 4月23日 水曜 記
 2008年 4月24日 木曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)
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