69回 サイン



 山形の街並みは夕焼けに照らされていた。
時間も午後6時を過ぎている。
 それでも空気は暑くムンムンしている。

「手塚先生!最後にサインをお願いしていいですか?」
 たかはしよしひでが手塚治虫に大きな声で言った。
 手塚治虫は嫌な顔もひとつしないで、
「ああ、いいですよ!どうぞ、どうぞ」
 と、言って、たかはしが取り出した手塚のマンガ単行本を受け取った。
 傍にいる井上は慌てて、ザック袋からペンテルのサインペンを取り出し、手塚に渡した。
 すばやくサインをする手塚に、参加者が立ち上がり手塚を囲んだ。
それぞれが持参した手塚の著書を胸に抱いて、みんなは手塚のサインする手元を目を凝らして注目するのだった。


 手塚はサインを終わった一人ひとりに握手をしながら、
「頑張っていい作品を描いてください」
 と、言うのだった。
「ありがとうございます!!」
 マンガの神様手塚治虫を改めて目の当たりにして、みんなはそう返礼するのが精一杯だった。
 
「宮崎クン、先に(サインを)してもらえよ」
 と、井上が言うと宮崎は、
 サインは井上と宮崎を残してみな終わったときだった。
「いいよ…オレは……」
 と、寂しく言った。
「だって、さっきから宮崎クンは写真撮りをお願いしたんだから、手塚先生とも話をしていないし、先に(サインと握手を)しなよ」
 と、井上は宮崎に促した。
 しかし、宮崎はかぶりを振って、
「オレはいいから、井上、お前がしてもらえ」
 と、言うのだった。
 いつも口数が少ない宮崎だったから、井上は特別に気にもしないで、
「じゃあ、そうすっから(するよ)」
 と、汚れないように障子紙でカバーを作って被せてある手塚治虫の著書「ぼくはマンガ家」(毎日新聞社・刊)を取り出した。

 みんな手塚マンガの単行本を持参したが井上だけが、手塚が自分の軌跡を書いた半生記だった。
そして丁寧にカバーを剥がすのだった。
 手塚はその井上の姿をジッと見ていた。
井上は手塚の視線に気がついた。
そして、ふたりの視線が合った。
 厚い障子紙から「ぼくはマンガ家」が取り出された。
表紙はコムでおなじみの和田誠さんの描いた手塚治虫の似顔絵のイラストだった。
「ずいぶん丁寧に保存してくれていますね」
手塚が言った。
「ボクは単行本のすべてをこうして障子紙でカバーを付けて日焼けや汚れを防いでいるんです」
「井上クンはどうしてマンガ本じゃないんですか?」

 と、手塚がニコニコして訊いた。
「手塚先生の唯一の半生記だからです。
あの別冊少年マガジンに描かれた『がちゃぼい一代記』もおもしろかったです。
でも、これを読んでいるとワクワクして、自分の未来に希望が湧いてくるんです」

 井上が腹の奥から声を振り絞るようにして言った。
「そうですか、ありがとうございます。
この作品では初めてです。
こんなにほめられたのは……」

 そう言って、手塚は表紙の裏にサインを書いた。
 そして、井上と握手を交わした。
 マンガの神様手塚治虫のとても温かく、柔らかい手の感触に井上は感動した。

 宮崎はふたりの会話に気後れしたのか、サインを受けないで自分の席に戻るのだった。



(2008年 4月 8日 火曜 記)



たかはしよしひでがいただいた手塚先生の直筆のサイン

(文中の敬称を略させていただきました)
熱い夏の日第69回

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