「手塚先生はこれからどんな作品を描いていきたいのですか?」
と、鈴木和博が訊いた。
「そうですね。
まず、ボク自身が書き手としてワクワクドキドキするものを描きたいですね!!」
と、手塚治虫が堂々と答えた。
「ワクワクドキドキですか?」
「そうです!
書き手が楽しく描かなきゃあ、読者には喜んでもらえませんからね。
そうでしょ!?
同人誌だってそうでしょ?
(たかはしと井上に向かって)書き手の気持ちはわかりますよね!!」
「アッ、ハ、ハイ!」
たかはしと井上はうなずいて手塚に応えた。
「あなたたちがコムの『ぐらこん』に結集して、同人誌や実験マンガに挑戦しているじゃあ、ありませんか!?
お互いの作品のレベルアップに努めていますよね。
コムを中心にあなた方のような中から、どんどん新しいマンガやマンガ家が生まれてくることをボクは希望して、コムを創刊したんです。
いまの少年マガジンのように貸し本屋出身の劇画家と自認する人たちの作品は、いずれ限界がくるでしょう。
また、熱血根性物だって、高度経済成長期の応援歌みたいなもので、これも飽きられることになるでしょう。
ハレンチなギャグや残忍性のマンガでも社会現象とはなっても、後は続かないでしょう。
どんなときも変わらぬ人気を博すのは『児童マンガ』だと思うんです。
手に汗握る少年マンガだったり、SFマンガかもしれません。
いずれ児童マンガは復活するんですよ。
その力を発揮するのが、あなたたち『コム世代の若者たち』の手によってです!!!」
手塚は目をキラキラさせながら、井上たち、一人ひとりの顔を見ながら力説した。
「ええええ……!!!!」
びっくりした。
あこがれのマンガの神様・手塚治虫がボクたちに対して、
児童マンガの復活はあなたたち『コム世代の若者たち』の手によってです!!!と言ったではないか。
手塚治虫の確信はいったいどこからくるんだろうか?
そして本当に、ボクたちの出番がまもなくくるような気がしてきた。
井上には手塚治虫がいっそう魅力的に見えた。
井上は自分の右側にいるたかはしよしひでの横顔を見た。
色白の顔のたかはしの瞳がキラキラしていた。
その頃、酒田の村上彰司は会社の勤務を終えて、帰るところだった。
愛車のホンダN360に乗る。
エンジンをかけて工場をでると港伝いに車を走らせた。
潮風が車の中に入り、村上の鼻を覆う。
村上は工場長からの言葉を思い出していた。
「手塚治虫先生に呼ばれたってことは、村上くんが社会というか、時代にというか、選ばれてのことだからね」
「村上くん、本当にチャンスかもしれないよ。
天下の手塚治虫先生のところで働けるなんてめったにないことだ。
東洋曹達の四日市工場に転勤する以上に意義のあることかもしれん。
村上くん、選ばれし者の人生の選択と考えてチャンスを逃さんようにな!?」
「人生は一度しかないかあ……」
ポツンと村上がそう言った。
そしていま頃、山形で手塚治虫と会っているだろう「ぐらこん山形支部」の面々を想い浮べた。
「たかはしクンも、いずれはマンガ家だろうし、井上クンは手塚先生のスタッフとなるだろう…。
寒河江のかんのまさひこクンはマンガ家か?
長井のあおきふみおクンだってマンガ家だろうし……」
「オレの人生をマンガに賭けようか……」
海の向こうには真っ赤な夕日がまだ高く浮いていた。
(2008年 3月28日 金曜 記)
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