64回 手塚治虫の憂鬱(ゆううつ)



 井上はじめの意見はもっともだが、これは手塚治虫先生への批判ともとれるのではないか?
 そう鈴木和博は思ったからだ。
 井上が意見を言い終わると、手塚治虫は視線を、目の前のテーブルに置いたアイスコーヒーに向けた。
 水滴がアイスコーヒーの入ったコップを被っていた。
その水滴をジッと眺める手塚治虫だった。
 たかはしはそのことに気付いた。
 手塚先生が淋しく見えた。
 
 手塚はアイスコーヒーを持ち上げ、ストローを口に加え
「スーッ」と吸い込んだ。
 手塚は自分と同じく思いのファンがいることがうれしかった。
 井上の感想はまさに手塚治虫が感じていたことだったから、ファンの正直な感想を述べてもらえたことがうれしかった。

 手塚治虫の長編ストーリーマンガは戦後マンガ界を完全に変えてしまった。
また、昭和38年からのテレビ連続アニメーション「鉄腕アトム」によってテレビ界とアニメーション界にも大きな影響を与え、リミッドアニメーションによる週刊の制作放映を可能にしてしまった。
 しかも、その中で「コム」というマンガ家予備軍に向けてのマンガ専門誌を発行し、多くの新人マンガ家を輩出し、マンガ同人ブームの第二期を作った功績も大きい。
 手塚はひとつの時代を作った。
でも、気が付くと手塚は時代の要求に追いかけられるという身になっていた。
 手塚治虫は時代の要求に応えていくために、超多忙さはますます激しくなっていった。
 手塚マンガも手塚アニメもマンネリだといわれはじめてきた。
 手塚自身もそう感じてきた。
 
 だいいち描いていても、監督をしていても、ワクワクドキドキがなくなってきていた。
 スタッフまでもが手塚の影で、
「手塚マンガは面白くない」
「手塚アニメはマンネリだ」

 と、言っている。
「どうしてキミたちはワクワクドキドキする手塚マンガや手塚アニメを作らないんだ!?」
 そう、手塚治虫は心で叫んだいた。
 
 手塚は虫プロダクションでも虫プロ商亊でも、そして手塚プロの中でも「天皇」になっていた。
 絶対的な権力者として君主していた。
それは手塚自身がけっして望んでのことではなかった。
 これだけのマンガ、アニメ、出版などをこなしていくには、多くのスタッフを必要とした。
 スタッフが多くなればなるほど、本来のマンガやアニメ制作よりもマネージメントや資金繰りなどの用件が大きくなってくる。
 各会社の社長の手塚にも「決済する社長」として役割が多くなっていた。
 しかし、作家やプロデューサーとしての役割を重要視する手塚治虫にとって、当然のごとく「社長業」はおろそかになる。
 手塚を尊敬してやまないスタッフよりも、作家としての絶対的な権力者の手塚に対して批判するスタッフの数が多くなっていた。
 当然に企業組織として「社長手塚治虫」の存在価値を望むがあまり、不満や不安が各会社や各部署に起こってきた。
 そしてその反動が手塚治虫を「象徴の天皇」にしてしまおうとする動きが起きてきていたのだった。
 業界内外では少年雑誌もテレビアニメも劇画や梶原一騎ブームに沸きかえり、もはや手塚マンガは古いをいう声さえ起こっている。
 
「こんなはずではなかった」

 こんな状態から脱出するには、手塚マンガを理解している者たちをスタッフに迎え入れることだと手塚は真剣に考えていた。
 そして1970年の熱い夏を迎えていたのだった。



(2008年 3月 7日 金曜 記)



 ご本人や関係者の名誉のためにも、手塚治虫先生の心理や考えは作者の想像の範囲であることをお断りしておきます。

(文中の敬称を略させていただきました)
熱い夏の日第64回

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