「手塚先生、ボクたちのために『トキワ荘物語』が遅れたらたいへんでしょうから、この辺で交流会を終わりにしますか?」
この場を仕切っていたたかはしよしひではそう言って手塚治虫に伺いを立てた。
殺人的スケジュールはたかはしらも予想していた。
先月、手塚プロダクションにたかはし、井上、そして村上の三人で訪れたときのことが頭に過ぎったからだった。
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手塚プロを訪れた三人は念願の手塚治虫と面会を果したのだった。
手塚はベレー帽を被り、ポロシャツを着ていた。
井上は安心した。頭を見ることがなかったからだ。
ただ想像以上に手塚は大柄だった。
「山形からご苦労様でしたね」
と、手塚は三人に労いの言葉を掛けた。
「あの、これ山形名産のサクランボです。どうぞ」
と、素早くたかはしは籠を渡した。
「いやあ〜 ありがとうございます。後でいただきます」
手塚はサクランボを受け取りながら腰を折り、たかはしの目を見ながら、ニッコリと頭を下げた。
(手塚治虫先生がオレに頭を下げた。オレはとんでもないことをしたのではないか?)
と、たかはしは赤面になり、ぼ〜ぜんとなるのだった。
「手塚先生。これはおみやげの梅酒です。疲れたとき飲んで下さい。家のばあちゃんの手作りです」
井上は、サントリーレッドの瓶に入った黄金色の梅酒を渡した。
手塚はその瓶を丁寧に受け取り、目の前で眺めながら、
「ありがとうございます。じゃあ、後でみんなでいただきます。ありがとう。ありがとう」と、ニコニコした。
井上は、梅酒を渡すことで祖母ふみの使いを果したと思った。
「このたびは、COMのご協力で、二回目の『山形まんが展』を開きます。手塚先生の原稿も展示させていただきます」
手短に村上が経過と謝辞を述べた。
「そうそれはたいへんでしょうが頑張ってね」
手塚は激励をした。
「出来れば『ぐらこん山形支部』結成に結びつけばいいのですが」
「開催はいつですか?」
「七月二十六日から三日間です」
「そうか残念だなあ。八月には山形に行くんですよ」
「エエッ!?」
「花笠踊りに漫画集団で行きますよ。漫画展には行けないけど、花笠のときにまたお会いしましょう。ネ、ネ!?」
「本当ですかぁ」
「楽しみにしてますから」
「光栄です」
「これからちょっと仕事があるんで、後ほどまたお話しましょう。そうだ向こうでコーヒーでも飲んで待っててください」
「ありがとうございます」
わずか十分足らずの出来事だった。
この間、手塚は誠意を持って三人と話をしてくれた。
あれも聞こうこれも聞こうと考えていた三人だが、いざ本人を前にすると何も聞けなかった。
でも、とてもうれしい一時だった。
その後井上たちは控え室に通され、原稿待ちの編集者たちとすっかり仲良くなって、マンガの話をしていた。
その会話の中で、井上が、
「そして八月には手塚先生は山形に来るんですよ」
そう言った瞬間のことだった。
「それの話は本当か!?それは、い、いつなんだあぁ!!!」
秋田書店の編集者はガバッと立ち上がって、井上を指して怒鳴った。
手塚治虫は、原稿の仕上がりが遅かった。
いつも、印刷ギリギリが当り前になっていたから、各社の手塚番といわれる担当者はこの大御所には泣かされていた。
手塚の山形行きはまだオフレコのようだった。
それを知らない井上は、自慢げに「告知」してしまったのだ。
立ち上がって怒鳴った秋田書店の編集者も、井上たちも気まずくなったのだった。
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あのときのように各出版社の「手塚番」といわれる編集者たちは、今日のこの場のこともできれば無いことを願っているはずだ。
なにも忙しい売れっ子大家が、山形まできて花笠まつりに参加しなくてもいいのではないか。
それより一分でも三分でも早く手塚の原稿が仕上がることの方がファンのためにも大切なことだと思って歯軋りをしていることだろうと、たかはしは手塚の顔を見て考えた。
「たかはしクン。気遣いはいりません。
今日はしっかりキミたち山形のマンガ少年とお話をするためにしてあるんですから!」
手塚はニコニコしながら断言した。
「来月号の『トキワ荘物語』や『火の鳥』が間に合わないと大変でしょうから」
たかはしがそう言うと、手塚は余裕の笑顔を浮べながら、
「マンガは感性なんです。キミたちマンガ少年たちと会って話することは、トキワ荘に集まったあの当時のマンガ少年の原点に帰ることが出来るでしょう?
コムの読者は感性が鋭いんです。
ウソを描いたり、ごまかして描いても見破るんです。
山形マンガ少年にトキワ荘時代のマンガ少年像をみる!これですよ」
と、言った。
そして、
「ボクは自分が納得するまで描き続けるんです。
いや、正確に言えば描き直しもしますし、ペンが止まるときもあるんですよ。
まあ、それでコムの読者にはずいぶん迷惑をかけていますがね(笑)」
と、言って笑った。
「どういうことですか?」
と、たかはしが訊いた。
手塚は目をクシャクシャにしながら、
「ときどき『火の鳥』が休載してしまうんです」
と、言ってベレー帽の上から頭を掻いた。
(2008年 2月22日 金曜 記
2008年 2月22日 土曜 記)
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