61回 選ばれし者



「工場長さん、ホントに行っていいんでしょうか?」
 工場長の意外な言葉に村上彰司は驚いて、そう質問を返すのだった。
 工場長は穏やかに笑顔を浮べて、
「村上くん。
素質やチャンスを止めることは誰にもできないんだからね。
 きみは選ばれた人なんだ」

 と言った。
「選ばれた?……」
 村上は訊きなおした。
「そうだよ。
手塚治虫先生に呼ばれたってことは、村上くんが社会というか、時代にというか、選ばれてのことだからね」
「選ばれて?……ですか?」

 
 窓の外から入ってくるセミの鳴く音と、室内の扇風機の羽根と首が回転する音が応接室の中に響いた。
「村上くん、本当にチャンスかもしれないよ。
天下の手塚治虫先生のところで働けるなんてめったにないことだ。
東洋曹達の四日市工場に転勤する以上に意義のあることかもしれん。
村上くん、選ばれし者の人生の選択と考えてチャンスを逃さんようにな!?」
「はい!ありがとうございます!!」

 村上は工場長の貴重な進言に対して感謝を述べた。




 特急つばさは福島県郡山駅に着いていた。
 乗車客はほぼ満員だった。
その中に虫プロ商事の野口勲がいた。
 野口の胸はワクワクドキドキしていた。
 虫プロ商亊社長の手塚治虫の原稿を〆切日に間に合うように取りに行くための山形出張だった。
 虫プロ商亊「コム」の連作「トキワ荘物語」最終回は手塚で閉める。
その原稿が何とか間に合わないと「コム」の読者をまたまた裏切ることになる。
「コム」の発行部数は年々落ちてきていた。
しかし、今年になってからは手塚治虫の「火の鳥・鳳凰編」と久々に「コム」に復活した石森章太郎「サイボーグ009・神々との闘い編」の人気が若干の部数を伸ばす貢献をしていた。
 それでも読者の期待をときどき裏切ることもあった。
そのひとつが永島慎二「フーテン」の続編連載中止であった。
四月号で予告までしておきながらの中止だった。
 多くの永島ファンから嘆きの声が寄せられた。
 もうひとつが手塚の「火の鳥」のときどきの休載だった。
 実はこのふたつの原因は社長である手塚治虫自身に原因があることは社内ではタブーとして扱われていた。
 
 野口にとっては、永島慎二が人気連載の「フーテン」休載と復活中止は共に手塚治虫先生が原因とは残念でならなかった。
 しかし、そこに至るまではきっと深い訳があったことだろうと想像していた。
それでも実態はわからない。
 また「火の鳥」は自分の会社だけに描くのが一番最後になってしまう。
ただでさえ手塚の原稿執筆は遅いし、アニメ制作にもたいへんな時間がかかる。その他にマスコミからの飛び込みの仕事をすぐ引き受ける。
だから「火の鳥」は〆切に間に合わないために休載となるのだった。
 手塚は、
「火の鳥はボクのライフワークだけに納得したものを描きたい。だから描けないときには休載させてもらうんです」
 と、言うのがファンからの定着された伝説だった。
 野口は虫プロ商事に入社して以来、実像の手塚治虫に直接的、間接的に接することになる。
見たくない、聞きたくないことが当然のようにある。
しかし、野口にとってはマンガの神様・手塚治虫には変わらなかった。
 こんな暑い真夏に遠い遠い山形まで、原稿を落とさないために手塚番に取りにいくことさえもうれしくワクワクしていた。
「でも、ボクが山形に着いた頃は手塚先生は秋田に向かっているのか……
明日は『トキワ荘物語』の原稿を持って東京に戻るのかあ……。
まあ、しょうがいない選ばれし者の役割かあ……」

 野口はポツンと言って、額の汗をクチャクチャのハンカチで拭った。


(2008年 2月 9日 土曜 記
 2008年 2月10日 日曜 記
 2008年 2月11日 月曜 記)



この回の内容のうち、東洋曹達の部分と虫プロ関係者の部分は実際にあったことをモデルに描いた作者によるフィクションです。

(文中の敬称を略させていただきました)
熱い夏の日第61回

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