- イラスト:たかはしよしひで
コムの石井編集長から電話がきたのは夕方の五時は過ぎた頃だった。
最初に電話を取ったのは祖母のふみだった。
「あの時はありがとうございました。ハイハイ、まだまだ暑いですよ。……うんだね〜ハイハイちょっと待ってください」
ふみは流暢に標準語を使っていた。
「はじめ、虫プロの石井さんから電話だぞ」
「石井編集長から?……」
井上はおっとりと立ち上がって電話に出た。
「ああ、井上クン?石井です。先日、お世話になったね。原稿は間違いなく届いたから安心してください。どれも汚れてもいないし、お貸しした原稿の枚数も間違いない。さすがにきみたちはしっかりしているね」
石井はそう言って井上を安心させた。
「いや〜ぁ、ありがとうございます」
と、井上は頭を軽く掻いた。
「ところで、手塚先生が花笠まつりに行く件だがね。ぜひ、キミたちと再会したいって言っているんだよ。何人か集まってもらえるかい?」
「えっ、ホントですか!?手塚先生とまた会えるんですか?」
井上は石井の言うことが信じられなかった。
「本当だよ。手塚先生の話では、先月キミたちに会った時に山形で会おうって約束したんだって言うんだ。手塚先生もマネージャーもそのつもりで段取りをしているよ」
井上はすっかり興奮して、石井の言葉が手塚治虫先生の声とダブって聴こえている錯覚に陥っていた。
井上は七月六日に手塚プロで手塚治虫先生と初めて会ったときのことを思い出した。
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手塚はベレー帽を被り、ポロシャツを着ていた。
井上は安心した。頭を見ることがなかったからだ。
ただ想像以上に手塚は大柄だった。
「山形からご苦労様でしたね」
と、手塚は三人に労いの言葉を掛けた。
「あの、これ山形名産のサクランボです。どうぞ」
と、素早くたかはしは籠を渡した。
「いやあ〜 ありがとうございます。後でいただきます」
手塚はサクランボを受け取りながら腰を折り、たかはしの目を見ながら、ニッコリと頭を下げた。
(手塚治虫先生がオレに頭を下げた。オレはとんでもないことをしたのではないか?)
と、たかはしは赤面になり、ぼ〜ぜんとなった。
「手塚先生。これはおみやげの梅酒です。疲れたとき飲んで下さい。家のばあちゃんの手作りです」
井上は、サントリーレッドの瓶に入った黄金色の梅酒を渡した。
手塚はその瓶を丁寧に受け取り、目の前で眺めながら、
「ありがとうございます。じゃあ、後でみんなでいただきます。ありがとう。ありがとう」と、ニコニコした。
井上は、梅酒を渡すことで祖母の使いを果したと思った。
「このたびは、COMのご協力で、二回目の『山形まんが展』を開きます。手塚先生の原稿も展示させていただきます」
手短に村上が経過と謝辞を述べた。
「そうそれはたいへんでしょうが頑張ってね」
手塚は激励をした。
「出来れば『ぐらこん山形支部』結成に結びつけばいいのですが」
「開催はいつですか?」
「七月二十六日から三日間です」
「そうか残念だなあ。八月に山形に行くんですよ」
「エエッ!?」
「花笠踊りに漫画集団で行きますよ。まんが展には行けないけど、花笠のときにまたお会いしましょう。ネ、ネ!?」
「本当ですかぁ」
「楽しみにしてますから」
「光栄です」
「これからちょっと仕事があるんで、後ほどまたお話しましょう。そうだ向こうでコーヒーでも飲んで待っててください」
「ありがとうございます」
わずか十分足らずの出来事だった。
この間、手塚は誠意を持って三人と話をしてくれた。
あれも聞こうこれも聞こうと考えていた三人だが、いざ本人を前にすると何も聞けなかった。
でも、とてもうれしい一時だった。
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手塚先生はあの時のことを忘れていなかったんだ……。井上は手塚治虫に対して一層信頼を厚くした。
(2006年11月18日 土曜 記)
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