23回 情 熱



 石井文男の相談とは村上彰司のスカウトだった。

「秋山(満)ちゃんの後を継いでキミにぐらこんを任せたいんだ」
 石井がショートピースをシャツの胸ポケットから出しながら言った。
「ボクが虫プロ商亊に入社するってことですか?」
 村上はハンカチで顔中をせっかちに拭きながら質問をした。
「そうだよ」
 と、石井は静かに答え、ショートピースに紙マッチで火を点けた。
 青白いタバコの煙がゆっくりと昇ると、ウエートレスがアイスコーヒーを運んできた。

「キミが初めてCOM編集部を訪ねてきたのは……」
 と、言いかけると、村上は背筋を伸ばして、
「昨年の秋です。『ビッキ』という日本一大きな同人誌を持っていきました」
 と、言った。
「そうだったね、あの大きさには驚いたっけ」
 石井は笑いを浮かべながら言い、アイスコーヒーにミルクだけを入れてかき混ぜた。
「それからキミは時々編集室に電話を掛けてきたんだね」
「そうです。主に秋山満さんが相手をしてくださいました」
「村上クンはそのときは社会人だったの?」
「ハイ、地元(酒田)の高校を卒業して、東洋曹達酒田工場に就職した年でした。十九歳でした」

 村上のアイスコーヒーの氷が少し解けてカタンと音を発てた。
「それからキミたちの企画でまんが展の協力が始まったんだね」
「ハイ、秋山さんにまんが展を開きたいっていったら、最初はびっくりしていたようでした。なにしろデパートでプロとアマチュアの原画展をすること事態、あまり例のないことでしたから」
「そうだったね。
秋山ちゃんからその話を聞いたときは正直ビックリしたよ。
 キミを除けば高校生と中学生の山形・酒田の同人会で、手塚先生や石森先生の原画を飾るなんて前例がなかったことだからね。
 第一こんな企画を思いつくなんて、すごい人たちだと思ったよ。
 それがキミ、村上クンだったんだねえ!」
 村上は頭を掻き掻き、ようやくアイスコーヒーを口にした。
「そして原画を取りに、酒田から来たキミに会って、その生真面目さと面倒見のよさが、ちょうどトキワ荘時代の寺田ヒロオさんに似ているなあって、思ったんだよ」
「………」

 村上は照れながら黙って石井の話を聞いていた。


 石井のショートピースの煙が村上の顔を横切った。
「今年の春先だったね。酒田のデパートでやった第一回目のまんが展は?大成功だったね。そして、この夏には暑い暑い米沢で第二回目のまんが展だった。これまた第一回目とは様相も違うけど、ボクが実際この目で確認して、その企画力と資金もかけないで、あそこまで展覧会を仕上げたっていうことに敬服した次第だった」
 石井は淡々と話を続けた。
「こんなことを言ったらキミたちは気分を害するかもしれないけど、キミたちの同人会にはこれといったマンガを描く人はまだいない。
だけど、まんが展の企画や同人誌の中での突拍子もない企画物はなかなかおもしろい。
キミたちを『ぐらこん山形支部』と認可したのは、その企画力に注目したからなんだ。ボクたちCOMにとっても、ぐらこんにとっても新しい存在なんだよ」
「石井さん。それはどういうことですか?」
「キミたちの存在と手塚先生が描く虫プロの将来、いや、マンガ界の未来にとっての戦略が一致しているんだよ」

 村上は石井の言いたいことがよく理解できなかった。



(2007年 5月13日 日曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)
暑い夏の日第23回

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