七月三十一日、この日も暑く熱が空と地面から噴出していた。
酒田の村上彰司は上野から山手線で目白に行き、マンションの一室にある虫プロ商事COM(コム)編集室に向かった。今回も夜汽車で酒田から新潟経由での上京だった。
「第二回 山形まんが展」の成功と、村上の念願だった「ぐらこん山形支部」を認可されたお礼に出向いたのだった。村上は大きな包みを紙バックに入れて持ち歩いていた。その中身は酒田のお菓子だった。けっして便利な道のりではない酒田から、わざわざお礼に上京する村上の姿勢に、彼の人間性が現れていた。
マンションにはコム編集長の石井文男と同編集の萩原洋子がいた。机に向かって原稿用紙に向かう石井はサングラスを掛け、半袖のポロシャツを着ていた。考え事をしている時の石井は右肘を立て、鉛筆を持った手の甲にあごを乗せ、せわしく貧乏揺すりをして、左手ではタバコのショートピースを天井に向かって吹かしていた。
「ピンポーン」
とチャイムが鳴ると、萩原はサッと椅子から立ち上がり狭い玄関のドアを開けた。天然パーマの髪から汗を額に流して村上が立っていた。メガネの奥から人懐っこいやさしい目が微笑んでいた。
「こんにちは」
村上は軽く会釈をした。
「あら、村上さん!遠いところをご苦労様です。さっ、どうぞ上がってください」
萩原は中へ招くように手を動かした。畳敷きのこのマンションに上がると、足のつま先と甲がヒヤッとして気持ちよかった。
村上は早速、萩原にお土産のお菓子を渡した。
低いテーブルの前に案内され、畳に座ったところに、
「東京も暑いでしょ!米沢のジメジメした暑さには敵わないけどね」
そう言って石井が現れた。
「石井編集長、この度はたいへんお世話になりました。感謝しております」
と言いながら、正座をして深々と頭を畳につける村上だった。
「あそこまでよくやったね。マンガ同人会の活動にまんが展とはよく考えたものだね」
「マンガもいまはブームともてはやされてはいても、まだまだ社会的地位は低いです。それにマンガを描いているといっても、ぼくたちのような同人誌では多くの人の目に触れることもありません」
「そこでまんが展なんだね。プロの著名なマンガ家で人を呼び、同人会のみんなの作品も同時に見せてしまう……なかなか奇抜な企画力だね」
萩原が冷やした麦茶をコップに入れて持ってきた。
「まんが展が成功されてよかったですネ」
萩原はやさしい笑顔で村上に言った。
「村上クンにいろいろと相談があるんだけれど、今日は時間は(十分に)だいじょうぶかな?」
と、石井は麦茶を口にしながら言った。
「だいじょうぶです。また、夜汽車で帰ればいいですから」
村上が答えた。
「じゃあ、外に行こう!」
そう言うとすぐに石井は立ち上がった。
村上も石井を追うように立ち上がり、石井の後に続いた。
二階のマンションから外付けの階段を降りていった。まだ午前だというのに外の陽射しが眩しく照りあがる。
アスファルトの上を歩くと、暑さが下からも照らしてきた。
空気もモヤッとして、暑さが体中を囲う。
石井はそんな状態もお構いなしに早足で歩く。都会の暑さは酒田とは違うことを村上は実感した。
「臭いなあ〜」
都会の暑さには臭いがある。なま物が腐ったような臭いがする。
石井はビルの二階に駆け上がった。そこには喫茶店があった。
昼にしては暗い喫茶店だった。入るとスーッと涼しかった。冷房が入っていた。
真ん中辺りの窓際に席を取った。
アイスコーヒーを注文すると、石井はすぐに話し始めた。
「村上クンが四日市に行くのは決定だね?」
「ハイ。九月から行きます。東洋曹達は全国転勤なんです」
「村上クンは長男だっけ?」
「いえ、次男です。家には兄がいますから」
「そう……だったら、四日市に行かないで、東京にこないか!?」
「言い直そう。ボクんとこにこないか!!」
村上はビックリした。そして自分の耳を疑った。
「石井編集長……いま、なんとおっしゃいましたか?」
村上の眼鏡越しの目は大きく開き、石井の眼をにらみつけるようにして訊いた。
村上クン。そ、そんな怖い目をするなよ、と言って、石井はもう一度ゆっくりと言った。
「ボクとCOMを一緒にやらないか」
村上は体中が汗で濡れていたが、その汗がスッと引くのを感じた。
(2006年11月18日 土曜 記
2006年11月19日 日曜 記
2006年11月24日 金曜 記
2006年12月 6日 水曜 記
2007年 3月11日 日曜 記)
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