- 手塚治虫と石井文男は久々にふたりで話をした。
以前はよく話をしたふたりだったが、「手塚治虫ファンクラブ」から「コム」に編集が移行してからは、落ち着いて話をする機会にはほとんど恵まれなかった。
手塚治虫はこの七月から虫プロ商事の社長になっていた。それだけに商事のメイン雑誌であった「コム」の石井編集長とのコミュニケーションを図る必要性は誰よりも手塚自身が感じていた。しかし、マンガ家としての手塚の比重は重く、どうしても経営や編集からは遠くならざる得ない手塚だった。
「石井ちゃん、そういえば一週間後にぼくは山形で少年たちに会うんですね?
漫画集団の行事で『花笠踊り』に参加して、地元の書店でサイン会ですかあ……
エッ、この日のうちに秋田に向かうんですか……強行ですね。
それじゃあ、サイン会後に少年たちと会いましょう」
「会う人数は、できるだけ絞って少人数にしましょう。
これからの虫プロ商事、虫プロ、手塚プロについて話し合いたいですね。ぐらこんの中からボクと一緒にマンガ制作をしてくれる人材を発掘させましょう」
手塚の目が光った。
手塚先生はやる気だな、長期ビジョンにたった改革を……。
石井は直感した。
隙を逃さず手塚は話し掛けてきた。
「石井ちゃん、今までのコムはマンガ家発掘がメインになっていました。
でも、これからのマンガ界やアニメ界にはプロデューサーや企画を練る専門家が必要です。ディズニープロを見学した時にそのことを学んできました。日本の映画が衰退した理由には、興行師的な感覚だけで当たる当らないの基準で作品と大衆を見ているからでしょう。
プロデューサーや制作部門に専門家というか、その分野での作家、専門家がいないと、いずれマンガ界は出版社、アニメ界はテレビと映画会社の枠だけに規制された消費にしかなっていかないでしょうね」
こういうときの手塚は雄弁だった。
- 「だから石井ちゃん、これからの私たちのコムは、そのことを意識してくださいよ。マンガ家志望やマンガ少年の中からきっとプロデューサーや各部門の専門家としてのセンスのある者がいるはずなんです」
「手塚先生、その各部門の専門家?つまり現在、テレビや映画界にいる専門家の中の者を鍛えてもいいのではないでしょうか?」
石井には手塚の言うコムやぐらこんとの関わりがいまひとつわからなかった。
「石井ちゃん、今井さんだって元々はボクの担当編集者だったでしょ。ボクのマネージャーを経て、虫プロダクションの常務、そして虫プロ商事の前社長だった。そいうい人には限界があるんですよ」
手塚の言う「今井さん」とは、出版社から手塚治虫を補佐するために転職した今井義章のことだった。
- 「先生。なんですか?内部改革でもするのですか?」
「石井ちゃん、ボクはそんなケチなことは考えてはいませんよ」
「マンガ界、アニメ界全体の将来のことを考えているんです」
「いまの虫プロダクションをご覧なさい。
手塚の作品を作る組織が『ムーミン』や『あしたのジョー』がメインになっているじゃあないですか!?
最近聴こえてきたんですが、営業では手塚アニメは売れないとか、手塚は制作の細かい所に口出しするから作品が仕上がらないから、手塚以外のアニメを作るとか言っているそうですよ」
手塚はひとりでエキサイティングに話をしている。石井はそれを黙って立って聞いている状態だった。
確かに手塚のことは誰しもがそう思っていた。しかし、その反面、「アニメ界のパイオニア手塚治虫」に誇りを持ち、「手塚アニメはいい加減な作品にしたくない」という者たちもたくさんいた。
- 「石井ちゃん。これからは就職や労働者意識のスタッフでは、世界的、歴史的な作品は生まれてきません。
ぼくが虫プロを作ってまだ九年しかたっていないのに、アニメ界は虫プロに右習えではありませんか。こんなことではいけません。
アニメ制作にも夢を持って挑む人を育てないと、商業ベースの作品しか生まれないでしょうね。」
石井は首を傾げて石井に訊いた。
「それをコムで……ぐらこんで……やるのですか?」
手塚は石井の目をきつい目で見つめた。
そしてゆっくりと「うん」と頷いた。
連載とアニメ制作に追われているのにも拘わらず、こんな先々のことまで手塚先生は考えているんだ……と、石井はあらためて手塚の大きさを思い知った。
「ボクのマンガで育った人たちは、いまは売れっ子マンガ家として活躍しているではありませんか。
ボクのアニメで育った人たちは、ここ数年で社会に出るでしょう。あの山形の少年たちの年代がそうでしょう?」
「手塚先生!?」
手塚治虫と石井の話は続くのだった。
(2007年 2月17日 土曜 記
2007年 2月18日 日曜 記
2007年 2月19日 月曜 記
2007年 2月20日 火曜 記
2007年 2月28日 水曜 記)
- ※この回の物語は作者の創作です。
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- ※資料-鉄腕アトムクラブ休刊のあいさつ
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