19回 嘆き



 制作室にはまだ、アシスタントたちは集まっていなかった。手塚治虫だけが背を丸めて机に向かっていた。
 カリカリと模造紙をカブラペンがなぞっている音が部屋中に響いていた。
 石井が入ってきても、手塚は気付かないでペンをはしらせていた。
 恐る恐る手塚に近付く石井だった。
 手塚は極端に神経質なところがあり、原稿を描いている時には特に注意が必要だった。鉛筆の下書きのときは、こちらから声を掛けようものなら大きな雷が落ちることは間違いない。それだけアイデアや構図、ネーム(セリフ)には神経を使っている。
 
 石井は、そっと後ろから手塚の原稿を見た。下書きの人物へペンを入れていると確認した。この段階だと声を掛けても大丈夫だ、石井は手塚に声を掛けた。
 
「あっ、石井ちゃん!どうしました?今日も暑いですねぇ〜」
 椅子をクルリと廻して、人懐っこい笑顔で手塚は石井を見上げた。
「手塚先生、山形に行ってきました。報告に参上しました」
「ああ、あの少年たちのまんが展ですね!どうでしたか?ボクも気にしてました」

 手塚先生は機嫌がいい、これはなにかあるぞ。石井は長年の勘が働いて注意しなければと思った。
「大成功でした。とても少年たちが企画したまんが展とは思えない立派なものでした」
「それはよかった、これでコムの面子も保たれますね」

 手塚はニコニコして言った。
「あれはコムというより、マンガそのものを社会的に評価してもらうためにはグッドアイデアでしたね。ジョージ秋山のアシュラで少年マガジンが不買されている時期と重なったのも偶然でした」
 丁度、この時期に戦国時代を描いたジョージ秋山の「アシュラ」という新作が少年マガジンに連載された。第一回から人肉を食べるシーンが問題となり、一部では発売を自粛する書店も出て、新しいマンガの動きが社会問題になっていた。
 
「虫プロダクションの作品はどうでしたか?」
 手塚はアニメ部門にも関心を寄せた。
「東映動画は積極的に作品を提供していましたが、虫プロはどういう訳か協力はしていませんでした」
「どうしてですか?石井ちゃん!それはとんでもないことです」
「そうです。先生、それでも少年たちは、自分たちの持っているセル原画や虫プロカレンダーを屈指して東映動画とのバランスをとってくれていました。虫プロダクションのイメージを悪くしたのではないかと心配です」
「少年たちにですか?」
「いや〜、虫プロダクションの作品を楽しみに会場に足を運んだみなさんにです」

 手塚は頭を下げて考え込んだ。
「最近、虫プロダクションはおかしい組織になってきましたね。企画部門と制作部門がうまく噛み合っていないようだし、佐武と市捕り物控、ムーミン、明日のジョーのようなぼくの作品意外でお金を稼ごうとしていて、とても、ぼくの制作会社とは思えない状態です」
 手塚は淋しそうに言った。
「手塚先生、少年たちの熱意はすごいものでした。ぐらこん山形支部の結成を承認してきました」
 石井がそう報告すると、
「石井ちゃん、虫プロは急激に大きくなり過ぎましたね。この九年間でこんなに大きな組織になっては、保守的になってしまうし、製作集団が労働組合まで組織する労働者組織では、実験アニメやパイオニア精神なんて宿ることは夢また夢ですね」
 手塚は右手を机に置き、しょんぼりと言った。
「手塚先生、今度のぐらこん山形はマンガ家排出よりも、編集組織やアニメ企画などの企画部門に向く人材のような気配がするんです。
 そうそう、あの秋山くんの代わりにどうかといった酒田の村上彰司くんをはじめ、支部長になった井上くんはマンガ家より企画に向いていそうですよ」

 石井は手塚を慰めるようにしてそう言った。
「そうですね。これからはそういうスタッフを作っていかないことには、深みと広がりのある作品と組織はできませんね。
 石井ちゃん、いい出会いの旅でしたね」

 手塚はニコッと笑って、ベレー帽を上下に動かし、頭をかいた。

(2007年 2月17日 土曜 記
 2007年 2月18日 日曜 記
 2007年 2月19日 月曜 記)


※この回の物語は作者の創作です。


(文中の敬称を略させていただきました)
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