15回 



 びる沢湖に拡がった水の輪は大きくなって消えていった。
 井上はじめの漕ぐボートはどうしても蛇行になり、水しぶきも大きい。それに比べて、近藤重雄の漕ぐボートはオールの廻し方も型にはまってカッコよかった。
「こんど〜う先輩〜っ、井上はわがんね〜、同じどころをグルグル回ってばかりで、船酔いする〜。オレを先輩のボートに行かせてくれよ〜」
 と、まさよしが言った。
「まさよしが漕げばいいじゃないか」
 近藤が返事した。近藤のボートに乗っていた小山絹代はバイバイと手を振った。
「うるせ〜っ、オレが漕げたなら苦労しねべ〜」
 と、まさよしが言った。その側を近藤はスイスイと追い越して行った。
 湖は雨不足がたたって水不足になっていた。底が浅く、下手をするとオールが底に届くのだった。それでも近藤と小山絹代を乗せたボートは湖の真ん中までやってきた。
 井上の漕ぐボートもようやく追いついた。
 
 静寂だった。曇った空に岩肌が出た周囲の山々、奥の山は緑が雨に映えていた。
 濁った湖に二台のボートがポツンと浮いているだけだった。四人はしばらく黙って周囲を見渡した。
 
 この数ヶ月の忙しさがウソのように思えるほど、のどかだった。小山は両手と首をおもいっきり伸ばして深呼吸をした。井上もつられて同じ動作で深呼吸をした。
 どこからか「ヒューッ」という鳥の鳴き声が聞えた。
「とんびだ」
 と、まさよしが言った。
 ボートから上がってから、用意してきたおにぎりを食べるために売店の席を借りた。なにも注文しないのも悪いと思った近藤は、サイダーを一人一本ずつ注文した。売店のおばさんは、
「気を使わなくってもいいんだよ」
 と、やさしく言った。
 井上の祖母の握ったおにぎりはとても大きく、海苔でしっかり包んであった。おにぎりの中には、塩鮭の切り身か、梅干のどちらかが入っていた。
 小山絹代はおいしい、おいしいと言って頬張った。近藤もまさよしも喜んで食べた。
 
「ハイ、お茶だよ。よかったら飲みなさい。おにぎりにサイダーではたいへんだろう」
 と、売店のおばさんが魔法瓶(ポット)とアルミの急須を持ってきてくれた。小山はありがとうございます、と言ってお茶を煎れた。
「小山の気配りはたいしたもんだなあ」
 と、近藤は感心して言った。
「なに言ってんの!お世辞言ってもなんにもでないわよ」
 と、小山が照れながら言った。
「ホント、オレも絹代さんには感謝している。まんが展が成功したのも、絹代さんや近藤先輩が支えてくれたからで……」
「はじめくん、なに言ってんの。私だけじゃないわ。みんなが頑張ったから成功したのよ」

 小山は謙遜し、いつものように気取らないでサラッとその場をかわした。近藤もそうだ、そうだと相槌を打った。
 
 井上が今月の初めに酒田経由で上京し、手塚治虫らに会いに行ったときも、近藤と小山が駅まで見送りに来てくれた。不安で心細かった井上がこの二人に励まされたのだった。井上はびる沢湖を見ながら思い出していた。
 
「そうそう、来月早々にまた手塚先生に会えるかもしれない」
 井上が言うと、小山は、
「すごいねえ〜。手塚治虫センセイに会えるなんて、はじめくんは手塚センセイの弟子になるの?」
 と、訊ねた。
「……え、そんなこと考えたこともないよ」
 井上にとっては意外な質問だった。
 そして先ごろも、中学の同級生だった美智江からも同じ質問があったことを思い出した。
 どうもみんなに誤解を受けていると、井上は思った。

(2006年10月9日 月曜 記
 2006年10月10日 火曜 記
 2006年10月13日 金曜 記
 2007年1月30日 火曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)
暑い夏の日第15回

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