回 似顔絵



 井上は自宅に帰ると早速似顔絵を描き始めた。
 鉛筆をケント紙を取り出して下書きをする。
 井上がモデルの先生の顔を思い出しながら、描き易い顔から描いていった。一年生の時に担任の先生だった工藤修一を描いた。どうも童顔になり、流行(はやり)の巨人の星の星飛雄馬に似てしまう。次は新任の先生の二宮美夫を描いた。これも巨人の星の登場人物にどこか似てしまう。
「どうしてオレは巨人の星を意識してしまうのだろう」
 と、井上は自問自答するのだった。
 先ずは下書きを完成させて、明日は美智江にチェックをお願いすれば、彼女のことだから「これはダメ、そこはこうしなさい」と言ってくるだろう。そう考えると気楽に鉛筆を走らせることができた。 

 この日は、春というのに夏のように朝から陽射しが強かった。
 井上は三日間掛かって、美智江から依頼された似顔絵の下書きを完成させた。
 寝不足の井上は七時になってようやく起きた。遅くても七時二十分には自宅を出ないと遅刻をする。着替えを済ませ、顔を洗って、食事を急いで済ませると、似顔絵の原稿を丸めてビニール袋に入れてカバンの中に入れた。


 教室に着くと井上は美智江に声を掛けた。
「……はよう」
「はじめくん、いまなんて言ったの?朝からシャキッとしなさいよ〜。そんなんじゃ今日一日生きていけないよ!」
「……お、お、おはよう。これ下書き……」

 井上は似顔絵の下書き原稿を美智江に渡した。
「ハイ、おはよう!どれどれ……」
 そう言って、美智江はビニール袋から原稿を取り出した。
 井上は自分の席に腰を掛けた。美智江の席は一番前で、井上の席は美智江の席から二列後ろだった。美智江はすぐに井上の隣席に座って、下書きについて感想を話した。
「はじめくん!この二宮先生はそっくりだわ!工藤先生は星飛雄馬みたいだわ、もっと大人っぽく描いて。それからこの先生は現物よりカッコ良すぎるからもっと崩していいの」
 そう言って一人ひとりについて率直に意見した。
「…………」
「はじめくん!メモしないで大丈夫?わかっているの?」
「…………」

 井上は黙って美智江の意見を頭の中に記憶した。

 放課後に井上は美術部に行き、部活が終ると三年三組の教室に戻り、似顔絵の下書きを直した。
 陽が少しずつ落ちて暗くなりつつある教室だった。
 
 美智江からも「工藤先生は星飛雄馬みたいだわ」と言われるように、星飛雄馬が登場する「巨人の星」というマンガが大きな社会現象になっていた。
 この春から少年マガジンの「巨人の星」がアニメ化され爆発的な人気になり、社会からも注目を浴びたのだった。
 井上は川崎のぼるの描くマンガはともかくとして、アニメの「巨人の星」の作画には不満だらけだった。梶原一騎の原作は大人も魅了するほどの物語感があったから、アニメもこの物語に助けられ、なかなか見ごたえのある演出になっていた。
 同級生の佐藤修一がこの「巨人の星」の単行本を学校に持ってきては、井上たちに見せていた。井上もいつの間にかこのマンガの影響を受けていた。その大きな理由は手塚治虫のマンガとは違い、絵は描きやすくストーリーも簡単だった。 
 工藤先生をもっと大人らしくかくこと、と言う美智江の言葉を心で繰り返しながら、井上は何回も似顔絵を描き直した。
 しばらくすると美智江がソフトボールのユニホーム姿で現れた。
「バシーン!」
 美智江は机にグローブを叩きつけた。
 ビックリした井上は立ち上がった。
 美智江は帽子を横に被り、顔もユニホームも土で汚れていた。
「ああ、疲れた〜ァ。春日のヤロウ、もう少し手加減しろってんだ!ソフト部の存続が危ないっていうから入ったのに、遠慮しないで本気でくるんだから参った〜ァ」
 美智江は井上の居ることなど、気付いていないのかひとり言をいう。
「あの〜っ」
 と井上は美智江に声を掛けた。その瞬間、美智江はキャッと声を出した。
「ああ〜ビックリしたァァ……」
 と、井上が震えながら言った。
「なに言ってんのよ!?なんではじめくんも驚くのよ?バ〜カ〜……」
 と、美智江が井上を左ひじでこつきながら言った。
「似顔絵の下書きを直していたんだ」
 井上はボソッと答えた。
「だったら、電気ぐらい点けて描いてなさいよ。目を悪くするよ」
 美智江は両手を腰にあて言った。帽子を横に被った美智江はおてんばそうでとても似合っていた。
「どれどれ……」
 と、美智江は下書きを覗き込む。
「どうも、工藤先生が星飛雄馬になってしまうんだ」
 言い訳がましく井上が言うと、美智江はしばらく考え込んだ。井上は美智江からどんな反応か怖かった。
「いいんじゃない!」
 美智江が言った。
「はじめくん、無理に直すことないよ」
「えっ、だって工藤先生の似顔絵だから星飛雄馬じゃまずいんだろう?」
「うん。最初はそう思った。でもね、みんな巨人の星が好きみたいだよ。うちのソフトボール部だって、♪行け行け飛雄馬〜どんと行〜け〜って、歌ってんだから、すごい勢いでこのマンガは人気になっているんだもん」
「…………」
「だから、巨人の星人気にあやかれば、意外に注目をあびるかもしれないじゃない?」
 なんだい、また言うことが変わるのか?と、井上は胸の中で言った。
「はじめくん、じゃあ、清書して……」
「せいしょ?ああ、ペン入れしていいんだね?」

 体育館から西日が射し、校舎と樹木の光と影のコントラストが鮮やかになった。三年三組の教室はだんだんと暗くなっていく。

(2006年 9月16日 土曜 記 
 2006年 9月17日 日曜 記
 2006年10月 2日 月曜 記
 2006年10月 3日 火曜 記
 2006年10月 5日 木曜 記
 2006年10月 7日 土曜 記)




(文中の敬称を略させていただきました)
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