イラスト:たかはしよしひで

一九七〇年……、昭和四十五年七月二十九日水曜日も暑かった。
青い空が白い入道雲にもくもくとを下の方からあおられていくような空だった。
 
山形県米沢市中央三丁目の長屋の一角に井上はじめの自宅があった。
井上は四角い大きな木綿の風呂敷と四角い紙袋を重そうに持って自宅の玄関を出た。
そして路地に止めてあった婦人用自転車のカゴに紙袋を入れた。
後ろの荷台には風呂敷を太いゴム紐でくくった。

遅れて井上の祖母ふみが玄関から現れた。
「はじめ、漬物はすぐに冷蔵庫に入れるように河村先生に言ってなあ!」
「ハイ、ハイ、ばあちゃん、わかったから……」
「はじめ、ハイは一回でいいんだからなあ!」
「ハイ!」
「そんで(それで)いい」 


自転車に乗った井上は河村よし子が住む米沢の舘山に向かっていた。
井上の目指す河村よし子とは、小学校時代の恩師の河村よし子である。
河村は保健衛生の教諭だった。
当時から井上は体が弱く、扁桃腺を腫らしては高熱を出して学校を休みがちだった。
その井上をいつも励まし、注意をはらってくれたのが河村よし子だった。
河村は、井上が小さい時に両親を亡くしていたのを不憫と思ってか、小学五年生から誕生日になるとシャープペンシルやレコードなどをプレゼントしていた。
井上が高校生になった今でもそれは続いていた。
そして井上の健康を心配をして、今も月に一度は井上宅を訪れていた。
まさに河村は母親代りの教諭だった。
河村は現在第三中学校に勤務していた。
今回の井上らが企画した「山形まんが展」にも学校にポスターを貼るなどの協力を惜しまなかった。 

東から西に向かう一直線の大通りはだんだん坂道になっていく。
特に矢来の踏み切りを越えるとその坂道は登りになっていく。
井上は全身に汗をかきながら、自転車のペダルをゆっくりと力を込めて踏んだ。
坂道は苦しかった。
ハンドルが左右に揺れると前輪も揺れる。
井上の顔がどんどん蒼くなっていった。 

井上の自宅から小一時間は掛かっただろうか、舘山にある御成山(おなりやま)のジャンプ台が大きく見えるようになった。
ようやく河村家に着いた。
井上はフラフラになって、河村の玄関先に行った。
「こ、こんにちは〜」
それは蚊の鳴くような声だった。
奥から河村があわただしく現れた。
「あららら……はじめくん!
 なにやそんなに蒼い顔して大丈夫か!?」

さあ、上がってと、河村は井上の肩を抱くようにして応接室へ案内しようとした。
すると河村の義母が声を聞きつけて奥からやってきた。
「はじめくん!」
義母は初対面の井上の名前を大きな声で呼んで、井上が持参した包みをバトンするように受け取った。
河村はソファに座らせると井上にコップの水を飲ませた。
挨拶も満足にしないまま井上はその行為に甘えた。
なにしろ気持ち悪く、それどころではなかった。
「遠いもなあ。
 よくきたごと。
 よし子、タオルで汗を拭いてやりなさい」

河村の義母のやさしい声が聞こえた。

河村よし子と義母の声を聞きつけて、河村の夫、河村紀一が応接室に顔を出した。
河村紀一は中学の社会科の教師だった。
「やあ、いらっしゃい。
 いつも家内がお世話になって……」

ランニング姿の紀一はメガネを掛けていた。
メガネの奥の目が微笑んで井上に挨拶をした。
井上はソファからよろよろと立ち上がった。
「今日はマンガの原画を写真を撮っていただけるそうで、お忙しいところをありがとうございます」
と、お礼を言い頭をペコンと下げた。
「おとうさん、はじめくんは暑さに参ったようで、今一息させていたんです」
と河村よし子が言った。
「それはそれは、たいへんだったね。
 落ち着いてから撮影に入ろう。
 ゆっくり休みなさい」

河村紀一の話し方や顔の表情はとても穏やかなで、初対面の井上には好印象を与えた。

「山形まんが展」に出品されたマンガ家の原画を記念に写真に撮ってはどうかと、河村よし子が提案したのだった。
河村の夫の趣味が写真撮影だったこともあり、井上は喜んでお願いした。

「おじいちゃん!
 はじめくんがきましたよ」

応接室から廊下に首を出した河村はそう言った。
まもなく、ランニングシャツとステテコ姿の痩せた老人が現れた。
 河村紀一の父だった。
「よくきたね。
 よし子がいつもお世話になってありがとう」

と、河村紀一と同じことを言ったが、その表情は河村紀一とは対照的に憲兵を想像させる厳しい表情だった。
「おじいちゃん、はじめくんと一緒に冷たいお水をいかがですか」
と、河村よし子が言うと、
「ワシは熱いお茶がいい。
 暑い時には熱いのに限る。
 なあ、はじめくん、きみもお茶にしなさい!?」

と、言ってニコッと笑顔を見せた。
その笑顔が井上には意外にかわいらしく感じた。
なんだかホームドラマを見ているような、そんな家庭を感じさせた。
井上はこんな家庭っていいなと思い、うらやましく感じた。

蝉の鳴き声が家の中に入ってくる。
「はじめくん、落ちついたかい?
 さあ、撮影を始めるとするか」

と、河村紀一がソファを立ち上がり、一眼レフカメラに接写用レンズを取り付けた。

河村紀一は応接室の南側の縁側で撮影をすることにした。
照明は自然光だ。
縁側から見る風景からはリンゴ畑が一面に見え、その先には舘山の象徴である御成山が目の前に見えた。
ジャンプ台も大きく見えた。
その風景に見とれる井上だった。
「さあ、はじめくん。
 マンガを出してくれるかい」
河村紀一が声を掛けた。

(2006年 8月22日 火曜 記
 2006年 8月27日 日曜 記)



(文中の敬称を略させていただきました)
暑い夏の日第1回

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